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由利公正広場
郷土の偉人「由利公正」が福井のまちを見つめる広場
由利公正居宅跡に近い足羽川の幸橋南詰上流側にある広場。公正の恩師である横井小楠の寄留宅跡(幸橋北詰下流側)の方向を向く由利公正像や、五箇条の御誓文の原案となった「議事之体大意」の展示版などが設置されています。由利公正とは由利公正肖像写真(福井市郷土歴…
由利公正広場
  • 福井駅周辺エリア
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内堀公園
福井城址のお堀沿いにひっそり佇む歴史スポット
福井城址のお堀の側にある小さな公園。本丸復元図や福井城下の歴史がわかる説明書き、安政5年(1858年)冬、一時帰国のため九州に旅立つ横井小楠と、同行する由利公正の姿を表現した像が設置されています。
内堀公園
  • 福井駅周辺エリア
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下荒井町 三軒茶屋の碑
かつて三軒茶屋があり賑わった北国街道巡りの目印
下荒井町の八幡神社の前には、かつての北国街道(北陸道)が通っており、かつてここには三軒の茶屋があり旅人等で賑っていたことを記した碑が建っています。各茶屋は向かって右から「上茶屋(カミチャ)」、「大茶屋(オジャヤ)」、「中茶屋(ナカンチャ)」と呼ばれ…
下荒井町 三軒茶屋の碑
  • 福井駅周辺エリア
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百坂
足羽山を登る笏谷石の階段
百坂は、水道記念館の脇から足羽山に登る急勾配の階段です。百坂の登り口には、斎殿清水(ゆのやしょうず)と言われるわき水が出ていた跡地があります。(福井震災から湧き出なくなったと言われていて現在水は湧いていません。)この清水の名は、福井の幕末の歌人、橘…
百坂
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石丸城公園(石丸城跡)
南北朝時代の武将、新田義貞と弟の脇屋義助ゆかりの地
石丸城公園は、「太平記」にも登場する、新田義貞と弟の脇屋義助が居城して戦った石丸城の跡地に整備された公園です。城跡は市の区画整理事業の際の発掘調査で発見され、建物や堀の跡が確認されています。公園内には、旧北国街道沿いにあった「人橋地蔵」が移設されて…
石丸城公園(石丸城跡)
  • 福井駅周辺エリア
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橋本左内宅跡
幕末を駆け抜けた天才 橋本左内の生家跡
福井藩の幕末の志士 橋本左内は、福井藩第16代藩主松平春嶽に抜擢され活躍しましたが、安政の大獄により26歳の若さで非業の死を遂げました。左内は1834年(天保5年)にこの地に生まれました。「稚心を去る」「気を振う」「志を立つ」「学を勉む」「交友を択ぶ」の五訓で…
橋本左内宅跡
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常照寺
九十九橋の橋脚に使われていた笏谷石が標柱として残る
福井市南部にある常照寺は、越前市五分市町にある豪摂寺を本山とする浄土真宗出雲路派の寺です。寺号が刻まれていたと思われる笏谷石の門柱は、足羽川に架かっていた半木半石の奇矯「九十九橋」の橋脚の石材が流用されたものです。
常照寺
  • 福井駅周辺エリア
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あさむつ橋
旧北国街道の景勝地「あさむつ橋」
福井市の浅水(あそうず)地区にあるあさむつ橋は、平安時代、清少納言が書いた「枕草子」にも語られた橋で、おくのほそ道で知られる松尾芭蕉も、「あさむつを 月見の旅の 明離」と、あさむつ橋とともに月の句を詠んでいます。今は小さな橋ですが、昔は長さ13間(約…
あさむつ橋
  • 福井駅周辺エリア
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麻生津宿 本陣跡
本陣跡の碑が残る、旧北陸道の要所だった場所
本陣とは、江戸時代の宿駅(街道の要所で、宿泊や人馬の乗り換えの設備があったところ)で、大名・幕府役人・公家・貴族の旅館のことです。浅水の本陣は、あさむつ橋の北詰、旧北陸道の曲がり角にありました。現在の麻生津郵便局の西側の曲がり角に、本陣跡の碑がひっ…
麻生津宿 本陣跡
  • 福井駅周辺エリア
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泰澄寺
白山を開山の僧、泰澄生誕の地
泰澄(682~767)は越前五山(白山、文珠山、越知山、日野山、吉野ヶ岳)を開山した高僧で、越前国麻生津の地で産まれています。泰澄寺は、泰澄の生誕地にあり、境内には泰澄の産湯に使ったとされる産湯の池や座禅石、市指定文化財に指定されている梵鐘などがあります。
  • 福井駅周辺エリア
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芭蕉宿泊地洞哉宅跡石碑
松尾芭蕉が2泊した知人、神戸洞哉宅の跡
「おくのほそ道」で知られる歌人、松尾芭蕉は、大聖寺から越前国に入り、敦賀を経て大垣へと旅をしました。福井では、敦賀までの道中をともにした知人神戸洞哉(かんべとうさい)宅に2泊しています。洞哉の自宅があった場所ははっきりとはしていませんが、福井市の左…
芭蕉宿泊地洞哉宅跡石碑
  • 福井駅周辺エリア
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湯尾峠
古くから交通の要所で、源平合戦、南北朝時代の合戦、一向一揆の戦いなど度々戦場となった
湯尾峠一帯は、古くからの交通の要所で、源平合戦、南北朝時代の合戦、一向一揆の戦いなど度々戦場となった場所でもあります。天正6年(1578)、柴田勝家が北国街道を整備した際に改修が加えられ、現在の峠道になったといわれていますが、木曾義仲が京へ攻め上げる際…
湯尾峠
  • 鯖江・越前たけふエリア
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西山光照寺跡
笏谷石の石仏が並ぶ寺院跡
西山光照寺跡は、一乗谷朝倉氏遺跡と朝倉氏遺跡博物館の道中にある山裾、下城戸から600mほど離れた位置にある寺院跡です。一乗谷朝倉氏遺跡発掘にあたり発掘、石仏覆屋が再建され、多くの石仏が安置されています。現在の西山光照寺は福井市の市街地にあり(越前大仏)…
西山光照寺跡
  • 一乗谷・永平寺エリア
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富田勢源道場跡
盲目の剣豪 富田勢源の道場跡地
戦国時代の一乗谷朝倉氏に仕えた剣豪「富田勢源」の道場跡地です。富田勢源は中条流(富田流)の達人であり、ほぼ盲目でありながらも、美濃の斎藤義龍(斎藤道三の息子)の依頼で神道流の達人である梅津某と試合を行い、大きな木刀の梅津に対し、近くにあった一尺2~3寸(…
富田勢源道場跡
  • 一乗谷・永平寺エリア
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盛源寺
 盛源寺は福井市春山にある現在の清源寺(せいげんじ)に相互に関係すると考えられています。清源寺は明応年中(1492~1501)、開山真盛上人(しんせいしょうにん)が天台真盛宗の寺院を一乗谷に建立し、天正年中(1573~92)に福井市の北庄に移り、慶長年中に量覚上人(りょ…
盛源寺
  • 一乗谷・永平寺エリア
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南陽寺跡庭園
特別名勝一乗谷朝倉氏庭園南陽寺跡庭園
南陽寺は朝倉氏一族により創建されたと伝えられる尼寺です。仏殿とされる建物と庭園が確認され、庭園は特別名勝に指定されています。約5,000㎡の規模であり、当時は「北国でも類稀」といわれたほどでした。永禄11年(1568年)春、朝倉5代目朝倉義景は、当時一乗谷に来て…
南陽寺跡庭園
  • 一乗谷・永平寺エリア
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永昌寺
朝倉孝景による創建であり、桂室永昌、以千宗勝、朝倉宗滴の位牌が残る
 創建は文明11年(1479年)、朝倉孝景によると伝えられています。本尊は釈迦如来。 寺名は朝倉孝景の妻(永正17年没)の法名(桂室永昌)によると思われます。 永昌の死後教景によりその菩提寺とされました。永昌と以千宗勝・実弟小太郎左衛門教景(宗滴)の位牌があります…
永昌寺
  • 一乗谷・永平寺エリア
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金吾谷
朝倉宗滴の館があったと伝わる
安波賀(あばか)には「金吾谷」という地名が残っています。金吾とは、朝倉宗滴の官途名を唐風に呼びならわしたもので、安波賀に宗滴の屋敷があったといえます。安波賀は、下城戸を出てすぐ外の地区で、三国湊へつながる足羽川、北庄と美濃を結ぶ美濃街道が通り、都市一…
金吾谷
  • 一乗谷・永平寺エリア
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龍興寺跡
最盛期には七堂伽藍を誇った名刹
 龍興寺は八幡町南東の山頂(海抜220m)にあり、永享初年(1429年)安居代官藤原清長により創建され、天正二年(1574年)一向一揆の放火のため廃寺となるまで約140年間繁栄した大寺でした。曹洞宗の寺として最盛期には七堂伽藍を誇った名刹と言われ、当時「八幡の竜興寺」また…
龍興寺跡
  • 福井駅周辺エリア
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蔵の辻
総社大神宮斜め向かいに白壁の蔵が建ち並ぶ通称「蔵の辻」と呼ばれるおしゃれな一角があります。この地区では江戸時代以降関西から北陸方面への物資の中継基地として栄えており、それぞれ商人たちの蔵が並んでいました。今は市街地活性化の一環として整備され、蔵の辻…
蔵の辻
  • 鯖江・越前たけふエリア
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