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検索結果
293件ありました
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- 芭蕉宿泊地洞哉宅跡石碑
- 松尾芭蕉が2泊した知人、神戸洞哉宅の跡
- 「おくのほそ道」で知られる歌人、松尾芭蕉は、大聖寺から越前国に入り、敦賀を経て大垣へと旅をしました。福井では、敦賀までの道中をともにした知人神戸洞哉(かんべとうさい)宅に2泊しています。洞哉の自宅があった場所ははっきりとはしていませんが、福井市の左…
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- 福井駅周辺エリア
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- 湯尾峠
- 古くから交通の要所で、源平合戦、南北朝時代の合戦、一向一揆の戦いなど度々戦場となった
- 湯尾峠一帯は、古くからの交通の要所で、源平合戦、南北朝時代の合戦、一向一揆の戦いなど度々戦場となった場所でもあります。天正6年(1578)、柴田勝家が北国街道を整備した際に改修が加えられ、現在の峠道になったといわれていますが、木曾義仲が京へ攻め上げる際…
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- 鯖江・越前たけふエリア
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- 板取宿
- 北国街道の入口
- 天正6年、柴田勝家が道を改修してから栄えたと伝わります。北国街道の入口として初代福井藩主結城秀康以来、関所を設け旅人を取り締まった重要な場所でした。現存する民家の藁葺の屋根は甲(かぶと)造りで珍しいものです。
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- 鯖江・越前たけふエリア
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- 盛源寺
- 盛源寺は福井市春山にある現在の清源寺(せいげんじ)に相互に関係すると考えられています。清源寺は明応年中(1492~1501)、開山真盛上人(しんせいしょうにん)が天台真盛宗の寺院を一乗谷に建立し、天正年中(1573~92)に福井市の北庄に移り、慶長年中に量覚上人(りょ…
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- 一乗谷・永平寺エリア
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- 明神垣内地蔵尊(おこり地蔵尊)
- 姉川の合戦で討死した真柄十郎左衛門の親族により建立
- 今から約450年前、元亀元年(1570年)真柄十郎左衛門直隆は、江州姉川の合戦で朝倉義景の客将として出陣し、徳川軍と戦い戦士しました。この死を悼み、元亀2年(1571年)5月に、真柄十郎左衛門の親・親族により建立されました。名前の由来はさだかではありませんが、当初…
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- 鯖江・越前たけふエリア
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- 真柄十郎左衛門直隆誕生の碑
- 平成3年に建てられた真柄十郎左衛門直隆の碑石
- 「十郎左エ門奉賛会」により平成3年に建立された真柄十郎左衛門直隆の碑石です。 昔この辺りを眞柄の庄と言った。そのころ日本一の大太刀(総長三米弱)を度々の実践に使用して剛力無双の名をほしいまゝにした眞柄十郎左エ門直隆という豪傑がいた。越前国主朝倉義景の…
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- 鯖江・越前たけふエリア
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- 永昌寺
- 朝倉孝景による創建であり、桂室永昌、以千宗勝、朝倉宗滴の位牌が残る
- 創建は文明11年(1479年)、朝倉孝景によると伝えられています。本尊は釈迦如来。 寺名は朝倉孝景の妻(永正17年没)の法名(桂室永昌)によると思われます。 永昌の死後教景によりその菩提寺とされました。永昌と以千宗勝・実弟小太郎左衛門教景(宗滴)の位牌があります…
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- 一乗谷・永平寺エリア
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- 金吾谷
- 朝倉宗滴の館があったと伝わる
- 安波賀(あばか)には「金吾谷」という地名が残っています。金吾とは、朝倉宗滴の官途名を唐風に呼びならわしたもので、安波賀に宗滴の屋敷があったといえます。安波賀は、下城戸を出てすぐ外の地区で、三国湊へつながる足羽川、北庄と美濃を結ぶ美濃街道が通り、都市一…
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- 一乗谷・永平寺エリア
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- 北前船主の館 右近家
- 国道305号線沿いに、当時の栄華を偲ばせる見事なたたずまいを見せながら、「北前船主の館・右近家」があります。全盛期には約30余隻を有した右近家の繁栄ぶりは、上方風切妻造瓦葺二階建の邸宅をはじめ、贅を尽くした西洋館などに見ることができます。西洋館は、1階…
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- 越前海岸エリア
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- 日野神社
- 越前富士とも呼ばれ、古くから信仰の山であった日野山の登山口にある神社。山頂に奥宮があります。夏に行なわれる「日野山まつり」には拝殿で御神楽を奉納したあと、夜を徹して登山。かがり火をたいて夜を明かし、ご来光を拝みます。絵馬殿では、寛文5年(1665)に奉納…
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- 鯖江・越前たけふエリア
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- 蔵の辻
- 総社大神宮斜め向かいに白壁の蔵が建ち並ぶ通称「蔵の辻」と呼ばれるおしゃれな一角があります。この地区では江戸時代以降関西から北陸方面への物資の中継基地として栄えており、それぞれ商人たちの蔵が並んでいました。今は市街地活性化の一環として整備され、蔵の辻…
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- 鯖江・越前たけふエリア
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- 慈眼寺
- 嘉慶元年天真自性禅師が開創、本尊は十一面観世音菩薩。往時は末寺が千二百余寺を数えるほどの隆盛を誇りました。一粒の豆の木が、一夜にして驚くほどの大木に成長し、その木の幹で作ったという伝説の「豆の木の臼」が展示されています。
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- 鯖江・越前たけふエリア
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- まつの念持仏(文殊菩薩坐像)
- 前田利家夫人まつ の念持仏と伝わる
- 通称「おまつさんの仏さま」と称されている文殊菩薩坐像を安置する厨子。府中城主であった前田利家の夫人まつ(芳春院)の念持仏として、大宝寺に伝えられていたといわれています。念持仏:私的に身近に置き拝むための仏
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- 鯖江・越前たけふエリア
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- 大山咋神社(越前市宮谷町)
- 明治時代の由緒書に「真柄備中守社殿を造立す」と記載あり
- 大山咋神社の明治時代の由緒書には「明応年中 地頭真柄備中守社殿を造立す」という記載が見られます。※真柄備中守とは、真柄一族の中でも「真柄十郎左衛門」を名乗った真柄家正が称した名前とされています。(参考:2022年 福井県立歴史博物館紀要)
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- 鯖江・越前たけふエリア
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- 新宮神社(越前市真柄町)
- 真柄十郎左衛門で有名な真柄氏の氏神である熊野新宮権現を祀る
- 第26代継体天皇の第1子である匂大兄皇子(第27第安閑天皇として530年頃即位)は、紀伊国熊野新宮神社の御信仰が厚く、生まれ故郷の匂の里(真柄)に御分霊を奉迎され勅裁が行われました。曳馬図は正保3年(1646)奉納されました。(参考:北新庄地区自治振興会 説明文)新宮…
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- 鯖江・越前たけふエリア
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- 武家屋敷旧田村家
- 大野藩の家老を務めた田村又左衛門家の屋敷跡(市指定文化財)。 期間限定で非常にきれいな風車棚が設置され人気を集めています。
- 旧田村家は大野藩の家老を務めた田村又左衛門家の屋敷跡(市指定文化財)。主家は文政10(1827)年に建てられた県内でも数少ない武家住宅の一つです。また庭園の東側にある築山は、越前大野城を築城した金森長近が、外敵が侵入するのを防止するために外堀に沿って造ら…
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- 恐竜博物館・大野城下町エリア
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- 万葉の里 味真野苑資料館 万葉館
- 越前市・味真野は、平城の都からこの地に流された中臣宅守(なかとみのやかもり)と都で宅守を思う狭野弟上娘子(さののおとがみのおとめ)の悲しい恋の歌の舞台として知られています。また、万葉集を代表する歌人・大伴家持と大伴池主との間で交わされた歌にも、越前市が…
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- 鯖江・越前たけふエリア
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- 城福寺
- 国の名勝に指定された江戸中期の庭園
- 真宗出雲路派の寺院で、庫裡の南側に庭園があり、国の名勝に指定されています。日野山系の山並みを借景とした山水庭園で、萱葺の茶室「雲山亭」と小間の茶室「一相庵」があります。左方奥部の推定樹齢400年の柊の大木の下の小築本に尊石が据えられています。城福寺は…
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- 鯖江・越前たけふエリア
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- 一乗谷朝倉氏遺跡 平面復原地区
- 城下町跡の痕跡から当時へ思いをはせる
- 戦国時代に朝倉氏5代103年にわたり越前の国を支配し、栄華を極めた城下町跡「一乗谷朝倉氏遺跡」この地区には幹線道路が南北に走り、西の山際には多くの寺院跡があって、土塁、柿経、卒塔婆、墓地などが発見されています。道路沿いには、大甕を並べた紺屋をはじめ、数…
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- 一乗谷・永平寺エリア
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- 山内甚之助翁 住宅跡地
- 北海道上砂川開拓の祖
- 山内甚之助は1852年(嘉永5年)に現在の福井市鶉地区(旧坂井郡鶉村)に生まれました。福井市鶉地区(旧福井県鶉村)と北海道の上砂川町とは歴史的にゆかりが深く、明治32年に山内甚之助氏他8名の開拓者が入植し、現在の上砂川町の鶉本町生活館付近に鶉農場を開拓したことが…
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- 福井駅周辺エリア
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