関義臣 生誕地

坂本龍馬の「海援隊」に参加

関義臣(山本竜次郎)は、府中本多家の家臣、山本五左衛門の次男です。

幕末に藩校明道館にて橋本左内に認められ、横井小楠に学びました。また江戸の昌平坂学問所でも学んでいます。その後、坂本龍馬らと意気投合し、亀山社中、海援隊を結成しました。龍馬は義臣の意見書に目を通し「北陸ノ奇男児カト、吾論ト同一ニ出ントハ…」(北陸の奇男児ではないか、わが論と同じだ)と喜んだそうです。

義臣は明治維新の後、鳥取県第2代知事、山形県第9代知事、徳島県第12代知事等を歴任し、かなり長く後の世まで生き残った海援隊士でもあり、また多くの龍馬に関する貴重な逸話を伝え残した人物でもあります。


生誕地である現在の三田村工務店の敷地に、2020年、越前龍馬会により生誕地碑が設置されました。

基本情報

住所
福井県越前市神明町4-8
備考
三田村工務店さんの営業中は、店内で越前龍馬会による解説チラシをいただくことができます。
ページトップへ