龍門寺

「府中三人衆」の一人、不破光治の居城であった龍門寺城跡

龍門寺は正安元年(1299年)悦巌崇善によって創建されたと伝わります。

この地は府中の南端にあたり軍事上の要所であり、天正元年(1573年)には織田信長が朝倉攻めの際、冨田長将がここの城を築き、本陣を構えました。朝倉氏滅亡後、一向一揆勢により支配され、この討伐のために信長は羽柴秀吉・明智光秀らに龍門寺城に攻め入らせ、再び龍門寺城に入りました。その後、信長は府中とその近辺の十万石を府中三人衆=不破光治、前田利家、佐々成正に支配させ、龍門寺城は不破光治の居城となりました。天正11年(1583年)4月、静ヶ岳の戦いで敗れた柴田勝家を、前田利家はこの城で迎えました。

天正13年(1585年)に若狭の木村常陸介が府中を支配し、城内の南隅に龍門寺城を再興しました。

現在、南部の堀跡は墓場となっており、また本堂や庫裏は台地上にあり平城の名残があります。

基本情報

電話番号
0778-22-2215(龍門寺)
住所
福井県越前市本町9-5
アクセス
ハピライン武生駅から徒歩10分/北陸自動車道武生ICから車で10分
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