福井に残る織田信長ネタ特集!! 福井人にもあまり知られていないとっておきをお教えします。
織田信長と聞いてイメージするのは?岐阜県?愛知県?いやいや!!実は福井県にも織田信長ゆかりの場所が多数あるんですよ!!
戦国ファンならずとも、これらを知ったら福井に旅行に行きたくなる!!そんな興味深くも意外な「織田信長ネタ集」を一挙ご紹介します!!福井人もあまり知らないネタも多いので、福井人相手にも自慢出来るかも⁉(笑)
(史実が不明なものも含まれます。いくつか存在する説の一つとしてお楽しみください。)
- ライター:Tomo & Yasu
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福井には「意外!」で「面白い!」歴史がいっぱい!
織田家の祖は越前町「劔神社」の神官だった!
越前町織田にある劔神社は、敦賀市にある越前一宮 気比神宮に次ぐ、越前二宮です。勘の良いアナタはもう「お?」と何かに気付きましたね?そう!織田氏の名はこの地名に由来しているのです。
織田氏の祖とされる織田常昌は劔神社の神官の子でしたが、斯波氏に見出され家臣となり、尾張に移った後に故郷の名から「織田」を名乗ったそうです。(地名の「織田」は「おた」と読みます。)
まぁこのあたりは序の口ですね。福井人にとっては常識でしょう。
Column
越前二宮「劔神社」
広い境内には沢山の社があり、深い歴史を感じるスポットです。
すぐ隣には越前町織田文化歴史館があり、越前二ノ宮劔神社と神仏習合、織田信長と劔神社、越前焼の歴史などの展示があります。
家紋「織田木瓜」は朝倉家の家紋から派生!
- 信長が用いた多くの家紋の中でも最も知られているのが「織田木瓜(おだもっこう)」。実はこの家紋は福井の武将、朝倉氏に由来しているとも言われているのです!
織田氏の先祖が越前にいた頃、朝倉氏から「木瓜(もっこう)」を与えられ、その後、4弁の木瓜から5弁の形に変え「織田木瓜」になったそうです。お恥ずかしながら僕は織田木瓜が「木瓜」だとは全く気付いていませんでした(汗)。しかし言われてみれば、確かに違いは弁の数くらいですね~。 - なお朝倉氏のルーツ日下部(くさかべ)氏の家紋は通常の木瓜でしたが、源頼朝の命で「三盛木瓜(みつもりもっこう)」になったそうですよ。
このネタは福井人もあまり知らないと思いますよ!自慢出来る渋ネタです!(笑)
さあ、まだまだ行きますよ~!
「人間五十年~下天のうちをくらぶれば~」の「幸若舞」発祥地は越前町!
「人間五十年~下天のうちをくらぶれば 夢幻のごとくなり~」。
多くの方が名前は知らずともこの舞には聞き覚えがありますよね?これは信長が愛した「幸若舞(こうわかまい)」の「敦盛(あつもり)」という舞の一節です。桶狭間の戦い(1560)の際に舞うシーンがドラマ等でもよく見られますね。
実はこの「幸若舞」も福井発祥なのです!
室町時代に越前町西田中に住んでいた桃井直詮(なおあき / 幼名 幸若丸(こうわかまる)によって興されました。
現地に行くと街灯に「幸若舞」の旗が付けられていて、なんだか嬉しくなりました。
地元の歴史に誇りを持つのは大事なことですね。
まだまだ続きますよ~!
「織田四天王」「織田五大将」全員にゆかりある福井!
「織田四天王」「織田五大将」という言葉を聞いたことはありますか?諸説ありますが、一般的には以下の武将を指します。
【織田四天王】
柴田勝家
丹羽長秀
明智光秀
滝川一益
【織田五大将】
織田四天王+羽柴秀吉
さすが織田信長!家臣団も錚々たる顔ぶれですね!なんと福井にはこの織田四天王・織田五大将全員のゆかりの場所があります。これは戦国武将好きにはたまりませんね~!
それでは一気にいってみましょう!
■柴田勝家
信長が朝倉家を滅ぼした後、一乗谷から今の福井駅前周辺の北庄(きたのしょう)に街を移したのは織田家筆頭家臣 柴田勝家であり、現在の福井市街地を作ったのは勝家であると言っても過言ではありません。
当時北庄を訪れた宣教師ルイス・フロイスは、町の規模は近江の2倍であること、北庄城の壮大さ等を記しています。
勝家・お市の方が過ごし最後の地ともなった「北庄城(現柴田神社)」は福井駅から徒歩7分、墓所は福井駅から徒歩15分程の「西光寺」にあります。次に紹介する丹羽長秀墓所も徒歩圏内の近い場所にありますよ。
福井市から徒歩17分程にある「九十九橋(つくもばし)」は、勝家による現福井市街地の造成の中で造られ「北半分が木造、南半分が石造の奇橋」として古くから名を馳せました。
勝家の命日である「旧暦の4月24日」には、九十九橋に「丑の刻になると勝家軍の武者行列の霊が現れる」という怪談があり、町中が戸締まりをして誰も外に出なかったそうです。
こ、怖い…。怖過ぎて詳しくは書けませんが、ご興味のある方は「福井の戦国 歴史秘話(PDF/2.2MB)」をどうぞ。
なお「現存12天守」で有名な「丸岡城」は、勝家の甥っ子「柴田勝豊」の居城です。
【スポット情報】西光寺(柴田勝家・お市の方墓所)
【スポット情報】丸岡城
【特集】【柴田神社】猛将「柴田勝家」、信長の妹「お市」ゆかりの地
■丹羽長秀
信長から「友であり兄弟」と信頼され、柴田勝家と双璧の重臣、丹羽長秀。
僕は最初「羽柴秀吉と名前が似てるな~」と思っていましたが、秀吉の「羽柴」姓が、そもそも「丹羽長秀」と「柴田勝家」から1文字ずつ取って出来た姓だそうです(所説あり)。
長秀は勝家自決後、北庄城主となり、越前・若狭、加賀2郡を領する大大名となりました。
長秀の墓は福井市つくもにある総光寺にあります。前述の勝家墓所である西光寺も大変近く(約800m)、双璧両名の墓は歩いて巡ることが出来ますよ!
■明智光秀
明智光秀が主役の2020年大河ドラマ「麒麟がくる」、面白かったですね~!「越前編」がとても長かったことからも分かるように、意外にも福井県内には明智光秀ゆかりの地が沢山あるんですよ!「明智軍記」にも福井の地名や工芸品や名産品の名前が沢山登場します。福井の人物が書いたのでは?という説もあるようです。
光秀は現在「明智神社」がある辺りや、坂井市丸岡町にある「称念寺」辺りに約10年程度住んでいたと言われています。詳しくは以下リンク先をどうぞ。
【スポット情報】明智神社 / 明智資料館(東大味歴史文化資料館)
■滝川一益
滝川一益は越前の「大滝城」を落城させ、記念に鐙(あぶみ)を埋めました。この鐙は後に掘り起こされ、「岡太神社・大瀧神社(後述の「越前和紙の神様」を祭る神社)」の宝物となっています。岡太神社・大瀧神社の裏山にある同神社の「奥の院」辺りが「大滝城」の城跡であり、「滝川一益あぶみ埋蔵の地」碑があります。
一益は領国であった越前大野の地で亡くなったとも、大野に帰る途中に大滝の民により殺され、越前市の霊泉寺に葬られたとも言われています。
■羽柴秀吉
秀吉が柴田勝家を破った「賤ヶ岳の戦い(しずがだけのたたかい)」では、北庄を見下ろせる「足羽山」の「天魔池(天魔ヶ池/てんまがいけ)」に陣を張ったことが「太閤記」に書かれています。
現在は池のすぐ近くに「福井市自然史博物館」があり、屋上からは福井市街地が一望出来ますよ!福井駅を発着する電車も見えるので、2024年に開通する北陸新幹線も見えると思います!
いかがでしたか?どれも興味深いですね。
(もちろん福井は朝倉、織田の戦いの舞台でもあり、ゆかりの地は他にもまだまだあります。)
「織田四天王」のうち、3武将が福井の地で亡くなっていた(かもしれない?)なんて驚きですね!
きっとここまで読み進んだ方は、すでに福井に行きたくなっているでしょう⁉
信長のエリート家臣団「黒母衣衆(くろほろしゅう)・赤母衣衆(あかほろしゅう)」
戦国時代には、敵味方を識別しやすく着色された「母衣(ほろ)」という軍装がありました。精鋭武士にのみ許された名誉ある軍装の集団を「母衣衆(ほろしゅう)」と称しました。信長のエリート家臣団にも「黒母衣衆(くろほろしゅう)」と「赤母衣衆(あかほろしゅう)」が存在しました。
その名誉あるエリート家臣ゆかりの城を紹介します!
■小丸城:黒母衣衆 佐々成正が築城
こじんまりとした城跡ではありますが、それでも残された石垣は迫力がありますね。
周辺には「越前和紙の里」「越前打刃物の里」や、「真柄十郎左衛門直隆の墓」「万葉の里 味真野苑」といった歴史スポットが多数あります。
■越前府中城:赤母衣衆 前田利家が築城
福井のお隣、石川県の戦国武将である「前田利家」も赤母衣衆に属していました。
その前田利家が築城したのが越前市武生にある「越前府中城」です。利家はここで初めて城持ち大名となり、妻のまつや子供たちと6年間を過ごします。
越前市武生には、利家が両親の菩提寺として保護した「宝円寺」(同名の寺を金沢に作り前田家の菩提寺とした)、静ヶ岳の戦いで敗れた柴田勝家を迎えた「龍門寺」、妻まつ の念持仏と伝わる「まつの念持仏(文殊菩薩坐像)」等、ゆかりの地が多数あります。
■越前大野城:赤母衣衆 金森長近が築城
天空城の周りに広がる美しい城下町では、和菓子、越前そば、日本酒等が揃っており、美食家にもおすすめです。
謀反家臣 荒木村重の息子は浮世絵の父「岩佐又兵衛」
信長への謀反といえば、当然ながら明智光秀による「本能寺の変」ですが、他にも大きな謀反を起こした「荒木村重」という家臣がいました。村重による謀反のため、荒木一族の多くは斬殺されてしまいましたが、数え年2歳の子は乳母に救い出され生き残りました。
この子こそが、江戸初期に活躍し、「浮世絵の父」とも言われる絵師「岩佐又兵衛」なのです!
又兵衛は、2代将軍 徳川秀忠に招かれるまで、長年福井で過ごしています。
福井駅からレンタサイクルで10分、徒歩でも16分の場所にある「興宗寺」に又兵衛の墓があります。
実は僕も以前からこの墓石の前をよく通っていたのですが、まさかこんな大偉人のお墓だとは知りませんでした。
さりげなく大偉人ゆかりの場所が存在するのが「知れば知るほど興味深い」福井の醍醐味だと思います。
信長の妹「戦国一の美人」お市の方と浅井三姉妹
戦国一の美人といえば、お市の方ですね!
お市の方といえば、そう、織田信長の妹であり、浅井長政の妻であり、浅井三姉妹の母です。相当な美人だったそうで、是非ともお会いしてみたかったですね~。
よく知られているとおり、浅井亡き後には柴田勝家の妻になりました。つまり福井の「北庄」は、お市の方と浅井三姉妹も過ごした場所なのです。
勝家とお市の方は北庄で自害しますが、その後三姉妹は秀吉に預けられ生き延びていくのです。長女 茶々は秀吉の妻に、次女 初は京極高次の妻に、三女 江は2代将軍秀忠の妻となります。
なお初が嫁いだ京極高次は若狭国(≒福井県嶺南地方)の大名であり、初の墓所も小浜市にあります。
三姉妹の物語も2011大河ドラマ「江〜姫たちの戦国〜」に描かれています。
実は歴代の大河ドラマにとって福井はとても重要な場所なのです。
Column
【柴田神社】猛将「柴田勝家」、信長の妹「お市」ゆかりの地。歴史と魅力をご紹介します!
魅力的な歴史的建造物が多く残る福井。今回は織田信長に重臣として活躍した戦国武将・柴田勝家公が主祭神の柴田神社の魅力を紹介します。
・柴田勝家公にまつわる様々なエピソード
・紫田神社が「絆の宮」と呼ばれる由縁
など具体的なエピソードや歴史を知った上で神社へ参拝すれば、ロマンと感動をより楽しむことができるでしょう。柴田神社に訪れようとしている方は、ぜひ参考にしてみてください。
信長、秀吉、家康も認めた「越前和紙」!明智光秀も信長に献上?
1500年の歴史を誇る越前和紙。その高い品質から、古くから公家、武家に用いられてきました。信長にも御用紙として認められ、三田村家には、織田氏の「七宝の印」が残ります。同様に秀吉、家康の印も残されています。
明智光秀の軍機物「明智軍記」にも、信長に仕える際に「大瀧ノ髻結紙三十帖府中ノ雲紙千枚」つまり越前和紙を献上したという記述があります。
戦国ネタではないですが、現在の紙幣にもある「透かし」は越前和紙の技法(門外不出!)であり、東京王子の紙幣の印刷工場に「越前和紙の神様」が分祀されるなど、知れば知るほどに興味深い歴史があります。
その話題についてはこちらでご紹介していますよ。
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Column
現在の紙幣にもつながる越前和紙
信長、秀吉、家康も認めた越前和紙は、紙幣の歴史にも深いつながりがあります。「日本初の全国通用紙幣は越前和紙」「越前和紙の神様を印刷局に分祀」「透かしは越前和紙の技法」「坂本竜馬と紙幣との関係」等、意外で興味深い話題が沢山ありますよ。
宿敵 朝倉義景!
織田信長のドラマでは必ず重要な場面として登場する「朝倉義景との戦い」。
義景の城下町「一乗谷」は焼かれてしまいましたが、歴史がそのまま埋もれ今に残った非常に稀有な遺跡となっています。
朝倉氏滅亡後、柴田勝家により越前の中枢都市は一乗谷から現在の福井市駅前付近に移されました。福井市街地にはとても沢山の寺社がありますが、その多くが柴田勝家の命にて一乗谷から多く移ってきたものなんですよ。
2022年10月には「一乗谷朝倉氏遺跡資料館」が「博物館」にグレードアップしました。
新しい展示も増えているので、一度行ったことのある方にも再度おすすめです!
一乗谷朝倉氏遺跡については、こちらの特集ページをどうぞ!
- 一乗谷朝倉氏遺跡
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Column
一乗谷朝倉氏遺跡とは?日本のポンペイと呼ばれる貴重な遺跡は、大河ドラマ「麒麟がくる」にも登場しました
福井市内最大の観光地で、遺跡としての価値も高い「一乗谷朝倉氏遺跡」。目で見て楽しむ県立一乗谷朝倉氏遺跡博物館、復原された町並や庭園などから当時の暮らしに思いを馳せる遺跡や復原町並など、みどころが盛りだくさんです。この特集では、そんな一乗谷朝倉氏遺跡の歴史やみどころについて紹介します。
織田信長銅像~全国にある信長像を巡ろう!
信長ゆかりの地マップ
これまで説明してきたスポットをマップにまとめてみました!
数字をクリックし「ルート検索」ボタンをクリックすると、Googleマップでルートが表示されますよ。
- 越前二の宮 劔神社(剣神社)
- 幸若音曲発祥の地記念碑
- 柴田神社(北庄城址)
- 西光寺(柴田勝家・お市の方墓所)
- 丹羽長秀墓所(総光寺)
- 丸岡城
- 明智神社 / 明智資料館(東大味歴史文化資料館)
- 足羽山公園
- 小丸城跡
- 越前大野城
- 岩佐又兵衛の墓
- 一乗谷朝倉氏遺跡
- 岡太神社・大瀧神社
- 称念寺(新田義貞公墓所)
Google Mapの読み込みが1日の上限回数を超えた場合、正しく表示されない場合がございますので、ご了承ください
福井にはまだまだ歴史がいっぱい!
- 今回は「織田信長」を中心にネタ特集を組んでみましたが、いかがでしたでしょうか。
同じ戦国時代では「真田地蔵(真田幸村の首塚(!!))」等、超意外なネタがまだまだあったりしますよ。
また「意外で面白い歴史ネタ特集」を皆さんにお届けしたいと思います。
それではごきげんよう~。
Column
ちょっと怖い逸話付き「真田地蔵」
意外にも知られていない「福井に真田幸村の首塚があった」という事実…。福井市内にある孝顕寺にあった首塚「真田地蔵」は現在、「福井市立郷土歴史博物館」で見ることが出来ます。ちょっと怖い逸話付きですが…。ぜひ資料館にて実物と説明をご覧ください!
今回は、ぜひ皆様に知って頂きたい「織田信長ネタ特集」を組んでみました。
それでは行ってみましょう~!