幸若音曲発祥の地記念碑
幸若舞が興された地
幸若音曲(幸若舞)発祥の地の記念碑は、越前町社会福祉センター朝寿殿(越前町西田中)の正面玄関横にあります。幸若舞は、越前町西田中が発祥の地で、申楽(さるがく)などと同様に中世芸能として発達し、約600年の伝統を誇る芸能でした。室町時代に、桃井直詮(幼名 幸若丸)によって興されたといわれ、その一族は現在の越前町西田中に住居を構え、ここを中心に全国で活躍しました。武士道鼓舞の舞曲として多くの戦国武将に愛好され、保護されましたが、特に織田信長の愛好ぶりは有名で、桶狭間への出陣する際に「人間五十年 下天のうちをくらぶれば 夢幻のごとくなり」と幸若舞の「敦盛」を謡い舞ったことはよく知られています。また、豊臣秀吉や徳川家康らも幸若舞を庇護し、江戸時代には幕府の式楽として毎年将軍の前で舞うことが家職となっていました。
『敦盛』は、源平による一ノ谷合戦における、源氏方の武将・熊谷直実が平家の武将・平敦盛の首を討つ悲劇の物語です。
熊谷直実は武功も無く焦っているところ、沖にむかって逃げおちる一騎の若武者「敦盛」を見つけました。生け捕りにして手柄にしようとしますが、我が子と同じ14~15歳の若者であると分かり、敦盛を助けようと考えます。しかし味方の武将が裏切りと騒ぎ、やむなく敦盛の首を討ち取ってしまいました。その後、直実は世の無常を感じ高野山に出家し、敦盛の菩提を弔いました。
基本情報
- 住所
- 福井県越前町西田中8-20-22