一乗谷朝倉氏遺跡とは?日本のポンペイと呼ばれる貴重な遺跡は、大河ドラマ「麒麟がくる」にも登場しました
福井市内最大の観光地で、遺跡としての価値も高い「一乗谷朝倉氏遺跡」。
目で見て楽しむ「県立一乗谷朝倉氏遺跡博物館」の展示や出土品、当時の暮らしに思いを馳せる「復原町並」、国の特別名勝に指定され、戦国時代の文化を感じる4つの「庭園」など、見どころが盛りだくさんです。
一乗谷朝倉氏遺跡の概要
一乗谷朝倉氏遺跡は、福井県福井市城戸ノ内町にある戦国時代の遺跡で、国の三重指定(特別史跡・特別名勝・重要文化財)を受け、日本遺産「福井・勝山 石がたり」の構成文化財でもある有数の観光スポットです。特別史跡に指定されている範囲は全体で278ヘクタールという広大なもので、山城や城下町、庭園などがあります。さらに、博物館や道の駅、食事処など、周辺一帯に見どころが集中しています。
- 唐門
- 福井県立一乗谷朝倉氏遺跡博物館
- 特別名勝「南陽寺跡庭園」
- 朝倉義景館跡
- 特別名勝 「館跡庭園」
- 特別名勝「湯殿跡庭園」
- 特別名勝「諏訪館跡庭園」
- 一乗谷朝倉氏遺跡 平面復原地区
- 一乗谷朝倉氏遺跡 復原町並
- 和傘スカイ・夏(一乗谷朝倉氏遺跡復原町並)
- 一乗谷城跡
- 西山光照寺跡
- 下城戸
- 道の駅 一乗谷あさくら水の駅
- お食事処水車(一乗谷あさくら水の駅)
- 一乗谷レストラント
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戦国時代に栄華を極めた越前朝倉氏
越前朝倉氏は、5代約103年間に渡り一乗谷を治めていました。当時の一乗谷には、応仁の乱で荒廃していた京から文化人が多数来訪し、華やかな一乗谷文化が開花していました。
人口は1万人以上いたと考えられ、城下町は越前の中心地として栄華を極めました。しかしながら世は戦国時代。5代義景の代に織田信長との戦いに敗れ、彼の軍勢によって火を放たれた町は消滅します。それから約400年、主を失ったこの地は田畑の下に埋もれてしまいます。
再びこの栄華の地が日の目を見たのは、1967年から始まった発掘調査からです。調査では、戦国時代の暮らしぶりがわかる膨大な物や資料が出土。武家屋敷や寺院、町屋、職人屋敷、道路に至るまで、当時の町並みまでもほぼ完全な状態で発掘されたことから日本のポンぺイと呼ばれ、発掘調査は今なお続いています。
アクセス情報
一乗谷朝倉氏遺跡へのアクセス方法を比較
福井駅から一乗谷朝倉氏遺跡への行き方をご紹介している特集記事です。
自動車なら福井駅から約30分、その他、路線バスや電車、直通バスなどの種類や各種フリーきっぷなどについてご案内いたします。
動画で知る朝倉氏遺跡「一乗谷朝倉氏遺跡PVとテーマ曲「悠久の一乗谷」」
福井市観光の動画の中でトップクラスの再生数を記録しているのが、「一乗谷朝倉氏遺跡PVとテーマ曲「悠久の一乗谷」」です。
福井市と、クリエイティブディレクター佐々木宏さん、アートディレクター副田高行さん、カメラマン藤井保さん達を中心に、「なにもない」ところから、一乗谷の広告という手法でイマジネーションをかき立て、新しいタイプの日本の旅の提案をしていこうという試みが「一乗谷DISCOVERY PROJECT」。
その一乗谷DISCOVERY PROJECTが切り取った朝倉氏遺跡の姿に、ヴァイオリニスト葉加瀬太郎さんが作曲したテーマ曲「悠久の一乗谷」(福井駅の発車メロディーにもなっています)を合わせたプロモーションビデオです。四季折々の美しい朝倉氏遺跡の風景と魅力を約5分間に詰め込んだ映像を是非ご覧ください。
朝倉氏の歴史①「朝倉氏のはじまり」
朝倉氏の祖先は、但馬国朝倉庄(今の兵庫県養父市)の豪族でした。南北朝時代(1337年)に越前守護、斯波高経に従って越前に入り、黒丸城(場所については諸説あり定かではありません。)に居を構えています。応仁の乱で、当初は斯波氏側の西軍について戦ったものの、後に細川勝元の東軍に寝返って活躍、文明3年(1471年)、斯波氏を追放し越前一国を掌握します。越前朝倉氏の初代・朝倉孝景は、三方を山で囲まれた守りの面で軍事環境に適した一乗谷に本拠を移し、人材登用、軍略・兵法に意を注ぎ、越前朝倉氏の土台を一代にして築きあげます。その後、5代朝倉義景まで103年間、朝倉氏は越前を統治することになります。
- 越前朝倉氏発祥の地
- 小黒丸城跡
- 大黒丸城跡(三宅黒丸城跡)
- 一乗谷朝倉氏遺跡
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朝倉氏の歴史②「朝倉氏の軍事力」
越前朝倉氏というと弱国のイメージがあるかもしれませんが、1500年代当時、朝倉家は屈強な軍事力を有していたと言われています。
特に、朝倉氏の軍事面を支えたのが朝倉教景(のりかげ、号して宗滴)です。宗滴は、初代朝倉孝景の八男として1474年(1477年とも)に産まれ、3代貞景、4代孝景、5代義景に仕えました。自らの12度に及ぶ合戦経験を側近に語り、筆記録として後世に残し、下剋上の世を生きる武将の厳しさを語っています。
宗滴は元治元年(1555年)7月、一向一揆を討つため加賀に出陣した際に、陣中で病に倒れ死去しています。なんとすでにこのとき宗滴は79歳になっています。
- 朝倉宗滴
- 例え犬と言われようか、畜生と言われようが、武士は勝つことが本義である(勝たねばならない)。
また、明智光秀は、一時期越前で雌伏のときを過ごしたと言われており、加賀の一向一揆の際に活躍し、朝倉軍の勝利に貢献したことが認められ朝倉義景に鉄砲指南役として仕官したという説があり、光秀で主人公の2020年NHK大河ドラマ『麒麟がくる』には、越前での雌伏のときを過ごす姿が登場しています。
明智光秀ゆかりの地
モデルコース「明智光秀ゆかりの地と戦国の福井」
日本史上、最も有名ともいえる事件「本能寺の変」を起こした人物、「明智光秀」。朝倉氏に仕えるなど、10年もの間越前に滞在していたとも言われる光秀のゆかりの地を巡ってみましょう!
朝倉氏の歴史③「朝倉氏の経済力」
朝倉氏の経済力の基盤は直轄地からの年貢でした。古くは奈良時代から大国とされた越前一国から得られる年貢は莫大で、十分な富を蓄えることができたと言われています。
国が安定することで商業、経済活動が活性化し、三国や敦賀などの湊町、平泉寺などの宗教都市が発展しました。
本拠地の一乗谷は当時全国有数の大都市であったと伝わっており、発掘品には貿易によって得た中国の高級陶磁器やヴェネチアンガラスなどといった、当時の一級品も数多く見つかっています。
朝倉氏の歴史④「5代朝倉義景」
国を滅ぼした暗君とも言われる朝倉義景ですが、実は儒学を治世の根本とし、小笠原流の兵学を身につけていました。文芸にも極めて関心が高く、絵画の他、特に和歌に秀でていたといわれます。
前述の朝倉宗滴も義景に「義景様を上洛させる策を考えているうちに夜が明けてしまう」と語っており、義景を大切にしていたことが伺えます。
一方で、宗滴という要を失ってしまった朝倉家は、宗滴の死と入れ替わるように勢力を拡大していった織田信長と敵対することとなり、滅亡へと向かっていくことになります。宗滴は死の直前に「あと3年生きて、上総介(かずさのすけ・織田信長のこと)の今後を見てみたかった」と話したとも言われています。
越前国を乱世の中で泰平に導き、人々の暮らしを守り、京の公家たちを支援していました義景でしたが、滅亡の憂き目に遭ってしまったのは、宗滴も目をかけていた稀代の武将、織田信長と同じ時代に生まれた不運であったかもしれません。
朝倉義景の最期
朝倉義景墓所
織田信長との戦いに敗れた朝倉義景は、大野に逃れた後、支族の朝倉景鏡の反逆にあい六坊賢松寺で自害しました。1573年8月20日。享年41歳でした。福井県大野市にある義景公園内には、朝倉義景の墓所があります。
住所:福井県大野市泉町10-2
朝倉氏の歴史⑤「朝倉氏の終焉」
1570年4月、織田信長は、上洛要求を拒んだ朝倉義景に対し、織田軍団の他に三河国の徳川家康などの軍勢を京に参集させ、敦賀(福井県敦賀市)へ侵入、金ケ崎城を一日で陥落させました。
しかしながら、浅井長政が窮地に立った朝倉家に呼応し、織田・徳川連合軍の退路を断つ挙にでます。朝倉義景は逃げる織田信長に追撃戦を仕掛けましたが、義景の予想を上回って信長の逃げ足は速く逃がしてしまいます(金ヶ崎の退き口)。
その後、6月28日、軍を立て直した織田・徳川連合軍と浅井・朝倉軍は姉川をはさんで激突、織田・徳川連合軍が勝利します(姉川の戦い)。
1572年11月、機内には、将軍足利義昭による信長包囲網が形成されていました。朝倉・浅井連合軍に加え、本願寺顕如率いる門徒・一向宗徒、延暦寺の僧兵などが織田信長を取り囲み、甲斐国(山梨県)の武田信玄も上洛を目指して迫っていました。
そんな中、信長は越後国(新潟県)の上杉謙信を動かし、朝倉義景に一旦、兵を引くよう仕向け、義景はこれに応じてしまいます。この決断が決定的となり、信長包囲網の一角が崩れます。
1573年4月、武田信玄が病没。信長は、7月には将軍義昭を追放し、ようやく四面楚歌から脱出。8月、岐阜城を出発した信長は、浅井氏を攻め、救援にかけつけた朝倉勢と激戦を展開、朝倉軍を潰走させます。さらに追撃を受けた朝倉軍は、刀根坂(敦賀市)でも大敗します(刀根坂の戦い)。
織田軍は、18日に府中(越前市)へ到着。柴田勝家に命じ一乗谷に火を放ちます。炎は三日三晩燃え続き、一乗谷は地中深く眠りにつくこととなります。
朝倉氏遺跡のみどころ① 復原町並で戦国時代にタイムスリップ
朝倉氏の滅亡後、越前八郡を与えられた柴田勝家は、越前一向一揆によって荒廃した一乗谷から本拠を水運・陸運に便利な北庄(きたのしょう)に移します。以後、辺境となった一乗谷は田畑の下に埋もれたまま約400年の眠りにつくことになります。
- 柴田神社(北庄城址)
- 一乗谷朝倉氏遺跡
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1967年から今日まで、福井県の手で続けられた発掘調査では、当主の館をはじめ、武家屋敷、寺院、職人たちの町屋、さらにそれらを結ぶ道路に至るまで、戦国時代の町並が当時の姿を残して発掘されました。
発掘調査により、一乗谷には当時、京都のような整然とした町並みがあったことが確認されており、この町並みを代表とする武家屋敷と町屋からなる町並み(200メートル)が復原されている朝倉氏遺跡の見どころが「復原町並」です。
一歩中に入った途端、タイムスリップしたかのような景色が広がります。かつての繁栄に思いをはせて街並みを歩いてみてください。
基本情報
一乗谷朝倉氏遺跡 復原町並
電話番号:0776-41-2330(朝倉氏遺跡保存協会)
住所:福井県福井市城戸ノ内町
営業時間:9:00~17:00(入館は16:30まで)
定休日:無休。ただし年末年始を除く。
料金:一般330円(団体260円)、70歳以上100円(団体80円)、小・中学生100円(団体80円)
※団体は20人以上・障害者手帳をお持ちの方は無料
朝倉氏遺跡のみどころ② 京文化を残す朝倉館跡と唐門
一乗谷朝倉氏遺跡のシンボル、朝倉義景館に残る唐門は、朝倉義景の菩提を弔うためにこの地に創建された松雲院の山門で、江戸時代中期に建てられたものです。義景の時代の門跡はまだ地下に埋もれています。
唐門をくぐるときには、上部に注目して見てください。朝倉氏の「三ツ盛木瓜」の家紋と豊臣秀吉が使用していた「五三桐」の家紋を見つけることができるはずです。
唐門をくぐれば朝倉館跡。第5代当主朝倉義景の館跡地で、なんと6,500㎡もの広さがあります。三方は土塁(どるい)と濠(ほり)で囲まれ、常御殿(つねごてん)、主殿(しゅでん)、会所(かいしょ)、茶室(ちゃしつ)、日本最古と言われる花壇のほか、台所、厩(うまや)、蔵などが整然と配置されていたといいます。
おすすめスポットをピックアップ
新しくできた「一乗谷朝倉氏遺跡博物館」に再現された館を見に行こう!
2022年に開館した「一乗谷朝倉氏遺跡博物館」には、5代当主の朝倉義景が暮らした朝倉館の一部が原寸で再現されています。城下の町並みを30分の1スケールで再現した巨大ジオラマなども必見です。
電話番号:0776-41-7700
住所:福井県福井市安波賀中島町8-10
営業時間:9:00~17:00(入館は16:30まで)
定休日:毎週月曜日、年末年始
※変更・臨時休館あり
朝倉氏遺跡のみどころ③ 特別名勝の庭園
一乗谷の復原町並も見どころですが、特別名勝の4つの庭園(朝倉館跡庭園・湯殿跡庭園・諏訪館跡庭園・南陽寺跡庭園)も必見です。
まず、朝倉義景館跡の山際には、館跡庭園があります。
力強い滝の石組、護岸石組が残されており、洗練された石組は京都との文化の交流があったことがうかがえます。。
少し山を登ると湯殿跡庭園。館全体を見下ろす高台に位置し、荒々しい石組が目に飛び込んできます。その強く迫力のある庭園は、一乗谷の庭園でも最古のものと考えられています。
庭園の石には正面となる向きがあり、全ての石の正面が1点を向くように作られているそうです。石からのパワーを集めるその位置を探してみてくださいね。
朝倉義景が側室「小少将(諏訪殿)」のために作ったといわれ、遺跡内最大の庭園が「諏訪館跡庭園」です。中心の4m以上ある巨石には、後世になって彫り込まれた3代目朝倉貞景、4代目朝倉孝景の法名が残ります。
道中では、遺構に残された人々の息遣いを感じ、四季折々の景観とともに彩を変える景色を見ることもできるはずです。
「南陽寺跡庭園」 は、館の東北の景勝地にあり中心部から少し離れているため、ややルートに組み込みにくい場所です。
庭には、池泉鑑賞式庭園の石組と池泉跡が残り、ここでは後に将軍になる足利義昭を招いて桜を見る宴会が開かれたと言われています。
- 一乗谷朝倉氏遺跡 復原町並
- 唐門
- 朝倉義景館跡
- 特別名勝 「館跡庭園」
- 特別名勝「湯殿跡庭園」
- 特別名勝「諏訪館跡庭園」
- 特別名勝「南陽寺跡庭園」
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ソフトバンクのCMにも登場。実は一乗谷は白い犬のお父さんの故郷。
この一乗谷朝倉氏遺跡と一乗谷地区はソフトバンクのCMにも登場。白い犬のお父さんの故郷として6年に渡りさまざなシリーズが放映され、復原町並や庭園下の遊歩道などが撮影されています。その他にも「旅への贈り物明日へ」など映画にも登場。2019年には、人気番組「ブラタモリ」にも取り上げられ一乗谷で出土した「あるもの」にとても感動されていました。
朝倉氏遺跡クイズ
遺跡で見つかった「あるもの」とは?
一乗谷の城下町遺構発掘で出土した「あるもの」。朝倉氏遺跡の城下町にたくさんあった日常生活には必要不可欠な「ある設備」にまつわるものでした。一方で朝倉義景が暮らした朝倉館跡ではこの「ある設備」の跡は確認されていません。果たして「あるもの」とは?「ある設備」とは?なんだったのでしょうか?遺跡の中で答えを確認してみてくださいね。
春には桜のライトアップ、夏には戦国まつりや万灯夜といったイベントも開催されます。
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遺跡の中にあるレストラン「一乗谷レストラント」では、福井名物おろし蕎麦や旬のお料理のランチが味わえます。「一乗谷あさくら水の駅」にある「お食事処水車」では、新開発した「朝倉羽釜飯」が好評、お土産の購入もこちらでOK。少し離れますが、明智光秀のゆかりの地「明智神社」、朝倉義景の埋蔵金や剣豪佐々木小次郎の伝承が残る「一乗滝」などにも時間があればぜひ足を運んでみてください。
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まとめ
福井市の貴重な遺跡、一乗谷朝倉氏遺跡の歴史や見どころについてご紹介しました。
一乗谷朝倉氏遺跡では、唐門周辺の桜や新緑、紅葉、雪景色など、昔から変わらない風景の中に、往時の賑わいや華やかさ、文化、そして寂寥感も、あらゆるものを感じることができます。この遺跡を訪れたときにあなたの心にはどのような感情が沸き立つのでしょうか。遺跡全体を散策しながら、タイムスリップした気分とともに味わってみてください。
モデルコース
戦国ファン必見!現代によみがえる城下町「朝倉氏遺跡」を満喫する1日!
一乗谷朝倉氏遺跡の見どころをすべて詰め込んだモデルコースです。
博物館からガイド、復原町並まで、全部見ようと思ったら1日かかるボリューム。
あなたのいきたいところを選んで巡ってみてください。