福井の歴史をたどる「明智光秀ゆかりの地と戦国の福井」
2020年NHK大河ドラマ『麒麟がくる』の主人公、明智光秀。日本史上、最も有名な事変「本能寺の変」を起こした人物で、福井とのゆかりも深いのです。戦国大名、朝倉氏のもと、10年もの間、越前に滞在。福井に残されている光秀のゆかりの足跡を巡ってみましょう!
- 所要時間
- 日帰り(6~12時間)
- 交通手段
- 車
丸岡城
北陸地方唯一の現存十二天守
いきなりの寄り道になりますが、せっかく坂井市を訪れるなら、北陸唯一の現存十二天守「丸岡城」には立ち寄っておきたいものです。
丸岡城は、一向一揆の備えとして、柴田勝家の甥・柴田勝豊によって築城されました。その古い様式から、現存十二天守のなかで最古のものである可能性が残されていましたが、近年の部材の伐採年代の調査などからその可能性は低くなったと言われています。
- 住所
- 丸岡町霞町1-59
- 電話番号
- 丸岡城管理事務所 0776-66-0303
- 営業時間
- 8時30分~17時(入場券販売は16時30分まで)
- 休業日
- 無休
称念寺
光秀、煕子夫妻が暮らしたとされる地。松尾芭蕉の句碑もあります。
美濃国(岐阜県)を追われ、越前(福井県北部)に逃れた光秀は、称念寺門前で寺子屋を開いて暮らしを営み、やがて朝倉氏に仕官したとも言われています。また、光秀雌伏のときに、妻煕子がその美しい髪を売って費用を工面したという美談を題材に、松尾芭蕉が詠んだ「月さびよ 明智が妻の はなしせむ」の句碑があります。
- 住所
- 丸岡町長崎19-17
- 電話番号
- 称念寺 0776-66-3675
- 営業時間
- 9:00~16:00
- 休業日
- 無休
お蕎麦で昼食
福井名物「越前おろし蕎麦」を昼食に
福井は全国でも有数のそば処で、各所にこだわりの蕎麦屋が店を構えています。名物は「越前おろし蕎麦」。福井に蕎麦が広がったのは、朝倉孝景がそばを籠城用食糧としたことが始まりと言われています。当時は、お湯で練ったそばがきやそばだんごが主流でしたが、1601年に本多富正公が府中(現越前市)赴任時にそば師を伴っていたことから麺状の「そばきり」が登場。福井で栽培できないワサビの代わりに大根おろしを薬味として添える食べ方が広まり、それが現代まで続いていると言われています。
一乗谷朝倉氏遺跡博物館
新規オープンした博物館、足利義昭の元服式を行った館が再現されている。
新しくできた朝倉氏遺跡博物館は、明智光秀が一時身を寄せたとされる朝倉氏にまつわる資料や展示が充実しています。遺跡の再現ジオラマや朝倉義景が住んだ「朝倉館」の原寸再現が見どころです。
朝倉館では、足利義昭の元服を祝う御成(おなり)が行われ、饗応は当時新築間もない会所で開かれました。
朝倉氏遺跡博物館には、その会所を含む一部が原寸再現されています。
- 住所
- 安波賀中島町8-10
- 電話番号
- 0776-41-7700
- 営業時間
- 9:00~17:00(入館は16:30まで)
- 休業日
- 毎週月曜日、年末年始
※休館日が変更になることがあります。詳しくは公式HPの「開館カレンダー」をご覧ください。
一乗谷朝倉氏遺跡
日本のポンペイ 戦国時代にタイムスリップ
1471年から5代、103年間にわたって越前を統治していた朝倉氏の城下町跡。遺跡が特別史跡、主要な4庭園が特別名勝、遺跡出土品が重要文化財に指定されています。
後の15代将軍足利義昭が9か月間滞在した安養寺跡なども残ります。光秀も足利義昭や細川藤孝と顔を合わせていたのかもしれません。
遺跡では、屋敷や寺院、道路などの町並みが発掘されたことで、当時の城下町の様子が復原されています。貴重な戦国時代の城下町跡を巡り、ありし日の姿を想像してみてください。
- 住所
- 城戸ノ内町
- 電話番号
- 0776-41-2330
- 営業時間
- 一乗谷朝倉氏遺跡/見学自由、復原町並/9~17時(入館は16:30まで)
- 休業日
- ・年末年始
・2024年10月19日(土)※全国育樹祭の開催のため
明智神社
地元住民が守り続けてきた明智光秀ゆかりの神社
明智光秀が朝倉氏に身を寄せていた時の住居跡。天正3年(1575年)、柴田勝家が一向一揆を鎮めるために、現在明智神社のある東大味地区に兵を送り込もうとしたが、光秀は住民を守るため勝家に申し入れをしたと伝えられています。そのため、現在に至るまで東大味の人々は光秀を慕い、この神社を守り続けてきました。年に一度、光秀の命日である6月13日のみ御開帳が行われ、本尊である光秀の木像を見ることができます。
- 住所
- 東大味
- 電話番号
- 0776-20-5346
- 営業時間
- 見学自由
- 休業日
- 無
明智資料館(東大味歴史文化資料館)
柴田勝家の一向一揆掃討作戦時に、明智光秀がこの地区を守るために、勝家に出させたと伝わる安堵状が残る「西蓮寺」も近くにあります。
明智神社の敷地にある資料館です。館内では明智光秀と東大味地域との関わりなどをパネルで紹介しています。
小さな資料館ではありますが、明智光秀と福井に関係する情報が充実しているので、必ず立ち寄りたいスポットです。
入口には、明智家の家紋「水色桔梗(ききょう)」の陣幕が飾られています。
- 住所
- 福井県福井市東大味町
- 電話番号
- 0776-20-5346
- 営業時間
- 見学自由
柴田神社
岡太神社・大瀧神社
越前和紙の名産地、「日本一複雑な屋根」を持ち、紙祖神「川上御前」を祀る神社
明智光秀は、織田信長に仕官するときに信長の妻、濃姫(帰蝶)に大滝の髪結紙をお土産に贈ったとされています。
大瀧神社が鎮座する越前市今立地区は、古くから和紙の名産地で、周辺では現在も多くの和紙職人が暮らし、紙漉きの体験施設などもあります。
- 住所
- 大滝町13-1
- 営業時間
- 拝観自由
寄り道情報
足を伸ばすなら、金ヶ崎城跡(敦賀市)へ
少し時間が許すなら、敦賀市まで足を伸ばして、金ヶ崎城跡に立ち寄ってみるのもおすすめです。
越前攻めで敦賀に進行した信長が、金ヶ崎城を落として一乗谷に進行しようとした際に、妹・お市の夫であった浅井長政の謀反にあい急遽退却した信長最大のピンチが「金ヶ崎の退き口」です。
このとき、明智光秀は木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)とともに殿(しんがり)の大役を務め退却を成功させたとも言われています。