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杉杜白髭神社
道開きの神、猿田彦大神を祀っています。敷地には天鈿女命を御祭神とする宮比神社もあり、夫婦神で祀られる縁結びの神社でもあります。境内には古来から、2種類以上の木が寄り添って生えることが多く、福井ゆかりの小説『千歳くんはラムネ瓶のなか』の2巻に登場する…
杉杜白髭神社
  • 福井駅周辺エリア
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志比線刻磨崖佛
大本山永平寺がある志比地区の入口にある岩壁に描かれた仏像。永平寺川にかかる曹源橋の、東側から大きくせりだしている岩山の下に、お地蔵さんや石碑、供養塔などが整然と並んでいます。そのすぐ側の直立した岩肌(安山岩)の岩面に、約32.3mに渡って地蔵菩薩坐像・…
志比線刻磨崖佛
  • 一乗谷・永平寺エリア
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通安寺
福井藩の家老を務めた狛家の菩提寺
大本山永平寺23世が開山(直末)で開創は元和元年(1615)代々福井藩の家老を務めた狛家の菩提寺。狛家の墓は大きな笏谷石製の五輪塔で、本堂左手奥の山肌を上ったところにある。また、少し北に位置する飛地にも墓所があり、同じく笏谷石製の宝篋印塔五基が並んでいる。
通安寺
  • 福井駅周辺エリア
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木田神社
871年尾張国津島神社より観請された。主祭神は人々にふりかかる災厄や疫難を祓い除く信仰がある健速須佐之男尊と稲田姫命。境内には安倍晴明を祀る清明神社や蛭児宮(えびすのみや)なども祀られている。
木田神社
  • 福井駅周辺エリア
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多賀谷左近の墓
多賀谷左近三経(たがやさこん・みつつね)は、初代福井藩主結城秀康の重臣として越前と加賀の国境の鎮めを任ぜられました。関ヶ原の戦いにも功績があり知行は3万2千石でした。※写真は、あわら市郷土歴史資料館より提供多賀谷左近三経は、桃山時代の武将で、若くして下…
多賀谷左近の墓
  • 東尋坊・あわら温泉エリア
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辻観音堂
源義経が滞在したと伝わる観音堂
源義経の軍記物「義経記」には義経と弁慶は東北に逃れる際に平泉寺に立ち寄ったことが描かれています。辻観音堂は義経が滞在したと場所と伝わります。
辻観音堂
  • 恐竜博物館・大野城下町エリア
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旧橋本家住宅
橋本家は、代々宝慶寺集落の庄屋や戸長をつとめた家柄であり、江戸中期18世紀前半頃に建てられたものです。昭和48年に現在地に移築、復元したもので、国の重要文化財に指定されています。
旧橋本家住宅
  • 恐竜博物館・大野城下町エリア
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安養寺
一乗谷初代当主朝倉孝景が一乗谷に建立し、柴田勝家が再建
文明5年(1473)に、一乗谷初代当主朝倉孝景(英林)が一乗谷に建立し、永禄10年(1567)室町幕府15代将軍足利義昭の御所となりました。朝倉氏滅亡後、天正2年(1574)に柴田勝家によって現在の場所に再建されました。国重要文化財の「阿弥陀三尊二十五菩薩来迎図」を所蔵。春…
安養寺
  • 福井駅周辺エリア
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平家平
平家落人伝説が伝わる
「平家平」は真名川上流域の巣原地区(市街地から約40km)にあり、源平合戦の「倶利伽羅峠の戦い(もしくは壇ノ浦の戦い)」で敗走した武将が逃れ住んだ地と伝わります。巣原で踊られてきた「平家踊(福井県指定無形民俗文化財)」の歌詞には、落人らしい人情や生活感情が歌…
平家平
  • 恐竜博物館・大野城下町エリア
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大黒丸城跡(三宅黒丸城跡)
朝倉家が一乗谷に移るまで7代130年のあいだ拠点とした城跡
朝倉氏が一乗谷に居城を構えるまで7代130年間、越前の拠点とした城跡です。南北朝の頃、足利(斯波)高経に従い、但馬国朝来郡より越前に入った朝倉広景が築城したと思われます。黒丸城は九頭竜川畔にあり、坂井平野の物資を福井方面に輸送する物資の集散地として、ま…
大黒丸城跡(三宅黒丸城跡)
  • 福井駅周辺エリア
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蝉丸の墓
小倉百人一首で有名な蟬丸の墓と伝わる
「これやこの ゆくもかえるも別れては 知るも知らぬも逢坂の関」の一首で有名な蝉丸の話が伝わっています。諸国を流浪の果て、越前に来て陶の谷にたどり着いた蝉丸は、一軒の農家に滞在中に病気になりこの地に果ててしまいました。蝉丸の遺言どおりこの地域に建てた墓…
蝉丸の墓
  • 越前海岸エリア
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朝日観音(福通寺)
泰澄大師が開いたとされ、往時は七堂伽藍の建ち並ぶ大きな寺院でした。現在、大師作と伝えられている正観世音菩薩、千手観音(いずれも県指定文化財)が安置されています。
朝日観音(福通寺)
  • 越前海岸エリア
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歴史文化ふれあい会館
北前船主の館・右近家の隣に位置し、河野地区の歴史の一端を知っていただくことができます。
歴史文化ふれあい会館
  • 越前海岸エリア
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越前町織田文化歴史館
歴史資料館・図書館・文化交流ホールを有する複合施設です。資料館では、越前二ノ宮劔神社と神仏習合、織田信長と劔神社、越前焼の歴史などをテーマに、考古・文献資料や模型・復元住居を展示しています。
越前町織田文化歴史館
  • 越前海岸エリア
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毫攝寺
けやき造り赤瓦山門が荘厳な雰囲気を伝える毫攝寺は真宗出雲路派の本山です。天福元年、親鸞上人によって京都の出雲路に創建され、慶長年間に今の場所に移されました。広々とした境内に御影堂、阿弥陀堂、経蔵、鐘楼などが整然と並び、自然におごそかな気持ちになりま…
毫攝寺
  • 鯖江・越前たけふエリア
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「芭蕉塚」天龍寺 境内
1653年に松岡藩主松平昌勝により祖母の菩提寺として建立されたお寺「天龍寺」には、「物書きて 扇引きさく 余波哉」の句碑や、芭蕉塚が有ります。これは松尾芭蕉が「奥の細道」の途中、天龍寺に立ち寄った時に作った贈答句です。芭蕉塚は1844年に同好の人たちによっ…
「芭蕉塚」天龍寺 境内
  • 一乗谷・永平寺エリア
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京藤甚五郎家
隣家からの火事を防ぐ卯建(うだつ)があがりひときわ異彩を放つ京藤家は、今庄宿では脇本陣格の建物であり、幕末の国学者・歌人の橘曙覧などの書が所蔵されている。また、水戸天狗党の一行が宿泊し、刀傷をつけた柱が残っている。
京藤甚五郎家
  • 鯖江・越前たけふエリア
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福井県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館
一乗谷朝倉氏遺跡から発掘された資料や道具などを保存している。一乗谷朝倉氏遺跡博物館がオープンしたため、現在はホールやロビーを団体客用に提供するなどしている。
福井県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館
  • 一乗谷・永平寺エリア
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芭蕉宿泊地洞哉宅跡石碑
松尾芭蕉が2泊した知人、神戸洞哉宅の跡
「おくのほそ道」で知られる歌人、松尾芭蕉は、大聖寺から越前国に入り、敦賀を経て大垣へと旅をしました。福井では、敦賀までの道中をともにした知人神戸洞哉(かんべとうさい)宅に2泊しています。洞哉の自宅があった場所ははっきりとはしていませんが、福井市の左…
芭蕉宿泊地洞哉宅跡石碑
  • 福井駅周辺エリア
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湯尾峠
古くから交通の要所で、源平合戦、南北朝時代の合戦、一向一揆の戦いなど度々戦場となった
湯尾峠一帯は、古くからの交通の要所で、源平合戦、南北朝時代の合戦、一向一揆の戦いなど度々戦場となった場所でもあります。天正6年(1578)、柴田勝家が北国街道を整備した際に改修が加えられ、現在の峠道になったといわれていますが、木曾義仲が京へ攻め上げる際…
湯尾峠
  • 鯖江・越前たけふエリア
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