高向神社

継体天皇ゆかりの「高向の宮跡」と推定される

「日本書紀」によれば、5世紀の中頃近江国高島郡三尾に住んでいた彦主人王(ひこうしおう)は、越の坂名井(さかない)から振媛を妻として迎えました。振媛は男大迹王(おほどおう/後の継体天皇)を生みましたが、まもなく彦主人王が亡くなったため、幼い男大迹王を連れて故郷の高向に帰り、養育したとあります。

かつてのこのあたりが継体天皇ゆかりの「高向の宮跡」と推定されています。「延喜式」神社帳にある高向神社は4字久保庄あたりであり、「古堂様(ふるどさま)」と呼ばれ、振媛一族の氏神であり高向郷の総社であったとも伝えれれています。明治3年(1870)に國神神社に遷座され、明治19年(1886)に合祀され、後に現在地に遷後されました。


社殿は昭和23年の福井地震で倒壊し、昭和55年(1980)に再建されました。境内には大正15年(1926)の建立が刻まれた灯籠があります。


基本情報

住所
福井県坂井市丸岡町高田1-7-1
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