西超勝寺(藤島城跡)

南北朝時代の足羽七城の一つ、藤島城の遺構が残る

超勝寺は南北朝時代の藤島城跡地に建てられており、西超勝寺の境内には藤島城の土塁が一部残っています。

藤島城は北朝の武将 斯波高経によって造られたといわれ、足羽七城の一つに数えられています。

「太平記」巻二十によれば、南朝方の武将 新田義貞は、藤島城に向かう途中、小黒丸城から出撃した斯波方の軍勢と遭遇し、燈明寺畷にて討たれました。新田義貞の身体は往生院(現在の称念寺)に、首は京都に送られました。


西超勝寺は岡倉天心を輩出した福井藩 岡倉家の菩提寺でもあり、岡倉家累代の墓と「岡倉先生 先祖之墓」碑があります。

  • 藤島城跡土塁遺構の一部
  • 境内裏手に土塁遺構
  • 「藤島城跡」の解説版
  • 「岡倉家の墓」の解説版

基本情報

住所
福井県福井市藤島町37-1
アクセス
えちぜん鉄道勝山永平寺線「東藤島駅」より600m(徒歩7分)
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