小黒丸城跡

太平記にも登場する、新田義貞を討った斯波高経の拠点

軍記物「太平記」には南北朝時代の武将・斯波高経が七つの城を構えたとあり、小黒丸城はその一つに数えられます(諸説あり)。


「太平記」巻二十によれば、斯波高経はこの城を拠点とし、小黒丸城を出陣した高経軍の細川出羽守・鹿草彦太郎が、藤島城に向かう新田義貞と偶然遭遇し交戦。灯明寺畷にて義貞を打ち取りました。義貞の身体は往生院(現在の称念寺)に、首は京に送られました。(藤島の戦い)


かつては現在の石碑より30m北の水田の中にあった盛土の台地に城址碑があり、当時は一段低い水田となった濠の跡が僅かに残り、また馬場の名残とみられる「ばんば」と呼ばれる地名が残っていました。その後、県営圃場整備事業の区画変更によって現在の場所に移転改修されました。


小黒丸城が落城した後、斯波氏一族の中には農を営みこの地にとどまった人達がおり、これが黒丸町の始まりと言い伝えられています。黒丸町には今も一族の後裔とみられる家が数戸あり、何れも斯波氏と同じ「円に二引両」を家紋としています。また祖先の苦労を忘れず偲ぶため「元旦に雑煮を食べない」という風習が残っています。近くの黒丸町集落センターには、この地での戦で散華した多くの将士の祖霊を祀るため、石造塔婆(十三重塔)が建てられ、塔の下には黒丸町各家よりの念珠が安置されているそうです。(参考文献:西藤島村史,西藤島史)


※郡(こおり)という地名から「郡黒丸城」と呼ばれることもあります。

※「太平記」では小黒丸城と大黒丸城の書き分けはなく、この2城の総称として「黒丸城」と呼ばれる場合があります。

  • 黒丸町集落センターにある碑文と石像塔婆(十三重塔)
  • 黒丸町集落センターにある碑文

基本情報

住所
福井県福井市黒丸町
アクセス
えちぜん鉄道三国芦原線「新田塚駅」から徒歩24分(2km)
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