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一乗谷朝倉氏遺跡
朝倉氏約100年間の栄華が眠る城下町跡
福井市の南東約10キロ、一乗谷にある一乗谷朝倉氏遺跡は、戦国時代に朝倉氏五代が約100年間にわたって越前の国を支配した城下町跡。武家屋敷・寺院・町屋・職人屋敷や道路に至るまで町並がほぼ完全な姿で発掘され、遺跡は、国の特別史跡・特別名勝、出土品は重要文化…
一乗谷朝倉氏遺跡
  • 一乗谷・永平寺エリア
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越前大野城 
雲海に浮かぶ天空の城
織田信長のエリート家臣団「赤母衣衆(あかほろしゅう)」の一人、金森長近が築城した越前大野城。天正4年から4年の歳月を要し完成した当時は、2層3階建ての大天守、2層2階の小天守、二の丸、三の丸があり、外堀・内堀をめぐらし、城を守っていました。石垣は野面積みと…
越前大野城 
  • 恐竜博物館・大野城下町エリア
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福井城址
徳川家康の次男である結城秀康によって築かれた城の石垣と堀が残る
福井城は、徳川家康の次男・初代福井藩主・結城秀康が慶長11年(1606)に築城し、約270年間17代にわたり越前松平家の繁栄の舞台となった名城です。築城当時は高さ37m・四層五階の雄大な天守閣が建っていましたが、大火で焼失。現在では城下近郊の足羽山(あすわやま)…
福井城址
  • 福井駅周辺エリア
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丸岡城
「現存12天守」の一つ
丸岡城は、戦国時代の天正4年(1576)に柴田勝家の甥、勝豊によって築かれました。天守(国指定重要文化財)は外観は二層、内部は三階の独立式望楼型天守です。石垣は”野づら積み”という古い方式で、すき間が多く粗雑な印象ながら排水がよく大雨に崩れる心配…
丸岡城
  • 東尋坊・あわら温泉エリア
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柴田神社(北庄城址)
猛将:柴田勝家、信長の妹:お市の最後の地
戦国武将、柴田勝家は織田信長から49万石を与えられ、数年の歳月をかけて居城である北庄城(きたのしょうじょう)を築いたと言われています。城を訪れたスペインの宣教師、ルイス・フロイスは九重の天守などを見て、その壮大さに感嘆しています。天正11年(1583)、対立…
柴田神社(北庄城址)
  • 福井駅周辺エリア
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越前府中城跡
前田利家が大名として最初に持った城
現在の越前市役所の場所には府中城の主郭があり、そこを中心に城下町が広がっていました。発掘調査により府中城の史跡と思われる石垣が広範囲に見つかり、現在は武生公会堂にてその一部を見ることができます。かつて朝倉氏の「府中奉行所」が置かれていた地域でしたが…
越前府中城跡
  • 鯖江・越前たけふエリア
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福井城山里口御門
福井城本丸の西側を守る門
山里口御門は、「廊下橋御門(ろうかばしごもん)」や「天守台下門(てんしゅだいしたもん)」とも呼ばれていた福井城本丸の西側を守る枡形門(ますがたもん)です。 江戸初期から本丸の西につながる西二の丸には松林があり、山里丸と呼ばれていました。山里口御門は、この…
福井城山里口御門
  • 福井駅周辺エリア
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嚮陽庭園
間部公ゆかりの嚮陽苑を再現したという日本庭園
鯖江市の西山公園、敷地内の北東部、西山公園駅からほど近い高台にある日本庭園です。間部公ゆかりの“嚮陽苑”を再現したという池泉回遊式庭園があり、池の鯉を眺めたり、高台からの鯖江市街の風景を楽しむことができます。
嚮陽庭園
  • 鯖江・越前たけふエリア
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朝倉景鏡館跡
朝倉景鏡の館があったと伝わる場所
 当地は「一乗谷古絵図」によれば、朝倉式部大輔景鏡(あさくらしきぶのたゆうかげあきら)の館があったところと推定されています。景鏡は朝倉氏最後の城主義景の従兄弟にあたり、朝倉一族の中でも特に地位が高く、大野郡司も務めていました。屋敷の南北には外堀と土塁…
朝倉景鏡館跡
  • 一乗谷・永平寺エリア
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梅田氏庭園(国指定名勝)
鎌倉~室町期の特徴が見られる優美な庭園
本庭園は池田郷の豪族「梅田氏」の居館の「池水鑑賞式林泉庭園」です。梅田家は平維盛の流れをくむ一族で、倶利伽羅・篠原の合戦後、この地に居を構えました。鎌倉末期から室町期の特徴がよく保存された優美な庭園で、悠久の美を感じることができます。東の主庭の林泉…
梅田氏庭園(国指定名勝)
  • 鯖江・越前たけふエリア
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青蓮華館跡
正蓮花の由来朝倉敏景とその子孫、正蓮華左京の進以下数代にわたってここに居城してこの地方一帯を収めた。天正元年(1573)四月、織田信長との戦いで惜しくも敗れて消滅した。居城当時の地名が大門崎 お掘 蓮池 人切場としてその名を止めている。戦乱で処刑された兵…
青蓮華館跡
  • 東尋坊・あわら温泉エリア
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燧ヶ城跡(火打城跡)
1183年に木曽義仲が築城
今庄宿の背後にある通称愛宕山に平安時代末期頃に築かれた標高267mの山城です。今庄駅から近く、ハイキングコースにもなっています。源平合戦の最中、寿永2年(1183)の木曽義仲(源義仲)と平家の戦いの際に、平維盛(惟盛/これもり)を迎え撃つ為に仁科守弘に命じ築城。平…
燧ヶ城跡(火打城跡)
  • 鯖江・越前たけふエリア
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龍翔小学校跡
龍翔博物館のモデルとなった小学校跡地
全国でも類を見ない五層八角形の木造建築であり、三国町のシンボルとして「こうもり傘の小学校」と呼ばれた小学校の跡地です。龍翔小学校は完成当初の明治12年~明治末期頃までは興ヶ岡地区(三国町南本町4丁目)に建っていました。当時の建物は1914年(大正3年)に取り…
龍翔小学校跡
  • 東尋坊・あわら温泉エリア
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西超勝寺(藤島城跡)
南北朝時代の足羽七城の一つ、藤島城の遺構が残る
超勝寺は南北朝時代の藤島城跡地に建てられており、西超勝寺の境内には藤島城の土塁が一部残っています。藤島城は北朝の武将 斯波高経によって造られたといわれ、足羽七城の一つに数えられています。「太平記」巻二十によれば、南朝方の武将 新田義貞は、藤島城に向か…
西超勝寺(藤島城跡)
  • 福井駅周辺エリア
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汐越の松(根上りの松)
西行や芭蕉も訪れ、明智光秀の物語「明智軍記」にも登場
あわら市浜坂(芦原ゴルフクラブ敷地内)には、かつて西行や松尾芭蕉も訪れた名所「汐越の松」(しおこしのまつ)があります(現在は枯れています)。明智光秀の物語「明智軍記」にも、光秀がこの地を訪れ汐越の松を詠んだ和歌が載っています。(光秀の娘玉(ガラシャ)の婚家で…
汐越の松(根上りの松)
  • 東尋坊・あわら温泉エリア
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小羽山30号墓
弥生時代後期後半(西暦130年頃)に造られた首長の墓です。墓の形は山陰地方で流行したヒトデのような形をした四隅突出型、大きさは突出部を含めて33m、埋葬は3.7mもの長さのある側板を持つ箱型の木箱が安置されていました。副葬品は北部九州製の鉄短剣1点…
  • 福井駅周辺エリア
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石丸城公園(石丸城跡)
南北朝時代の武将、新田義貞と弟の脇屋義助ゆかりの地
石丸城公園は、「太平記」にも登場する、新田義貞と弟の脇屋義助が居城して戦った石丸城の跡地に整備された公園です。城跡は市の区画整理事業の際の発掘調査で発見され、建物や堀の跡が確認されています。公園内には、旧北国街道沿いにあった「人橋地蔵」が移設されて…
石丸城公園(石丸城跡)
  • 福井駅周辺エリア
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金吾谷
朝倉宗滴の館があったと伝わる
安波賀(あばか)には「金吾谷」という地名が残っています。金吾とは、朝倉宗滴の官途名を唐風に呼びならわしたもので、安波賀に宗滴の屋敷があったといえます。安波賀は、下城戸を出てすぐ外の地区で、三国湊へつながる足羽川、北庄と美濃を結ぶ美濃街道が通り、都市一…
金吾谷
  • 一乗谷・永平寺エリア
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兜山古墳
鯖江台地上にあり、周囲に濠を巡らした高さ約8m、二段築城の円墳で北陸地方最大級。国の指定史跡に指定されています。
兜山古墳
  • 鯖江・越前たけふエリア
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福円寺(藤野厳九郎墓所)
魯迅の師「藤野先生」が眠る
藤野厳九郎(1874-1945)は魯迅の小説「藤野先生」で知られる、福井県あわら市出身の医師。中国近代文学の父と言われる魯迅は、日本留学時代に仙台医学専門学校(現東北大学医学部)において厳九郎より親切な指導を受け、後に小説にて厳九郎の思い出を記しました。福円寺…
福円寺(藤野厳九郎墓所)
  • 東尋坊・あわら温泉エリア
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