実盛池

斎藤実盛の誕生時に産湯に池の水を使ったと伝わる

源平合戦で名高い斎藤実盛は越前出身と言われており、伝説によれば、実盛が誕生した際にこの池の水を産湯に使ったといわれています。

池の周囲は約40m、深さ10m。池の周りには2本の松の大木があり、その下に石塔が一基あります。

近くには斎藤実盛を祀った「実盛堂」があり、また斎藤実盛の居館跡とされる長畝館跡は、現在の長畝集落内、八幡神社の隣附近に比定されています。


「平家物語」巻第七には「実盛最期」という章があります。

「最後は若々しく戦いたい」と白髪を黒く染めた斎藤実盛は、木曾義仲の武将 手塚光盛により打ち取られ、木曾義仲は幼い頃に自分を助けた命の恩人を打ち取ってしまったことを知り涙したと伝わります。

福井県の隣の石川県には、小松市の多太神社には木曾義仲が奉納した兜が伝わり、加賀市には実盛の首を洗ったと言われる首洗池、なきがらを葬った実盛塚があります。

基本情報

住所
福井県坂井市丸岡町長畝
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