明神垣内地蔵尊(おこり地蔵尊)

姉川の合戦で討死した真柄十郎左衛門の親族により建立

今から約450年前、元亀元年(1570年)真柄十郎左衛門直隆は、江州姉川の合戦で朝倉義景の客将として出陣し、徳川軍と戦い戦士しました。この死を悼み、元亀2年(1571年)5月に、真柄十郎左衛門の親・親族により建立されました。

名前の由来はさだかではありませんが、当初は地籍から明神垣内(みょうじんかいち)地蔵尊と呼ばれていました。

いつの頃か、子供におこり病(熱病)がはやりこの地蔵尊にお参りすると霊験あらたかに治ったことが口伝で伝わり「おこり地蔵」になったと考えられています。

(参考:明神垣内地蔵尊(おこり地蔵尊) 碑文)

基本情報

住所
福井県越前市宮谷町
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