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朝倉家最強家臣に迫る!朝倉宗滴、真柄十郎左衛門、富田勢源!福井市一乗谷ゆかりの地をご紹介!

戦国ファンに人気上昇中の一乗谷朝倉氏遺跡。じっくり巡るとたいへん興味深いスポットが沢山あります。「唐門と復原町並」だけ見て帰るなんてもったいない!でもどこを巡れば良いか分からない…。そこで今回は「朝倉家最強家臣!そして伝説の地へ…」と題して、有名な3武人ゆかりの場所を巡ろうという魂胆です。「え~?朝倉家の殿様のこともあまり詳しくないのに!」と思われる方々も多いでしょう。しかし今回取り上げる3武人は、最近のゲームやアニメ等にとてもよく取り上げられ、それぞれに「戦国最強」とも称される魅力的な「最強老将 朝倉宗滴」「巨漢怪力 真柄十郎左衛門」「盲目剣豪 富田勢源」です!それではいってみましょう!
※本記事は歴史の真偽に関して言及するものではありません。

ライター:Tomo & Yasu
Tomo & Yasu
1393ビュー
朝倉家最強家臣に迫る!朝倉宗滴、真柄十郎左衛門、富田勢源!福井市一乗谷ゆかりの地をご紹介!

今回紹介する「朝倉家最強家臣」とは?

まずは「朝倉家最強家臣」の3人を簡単に紹介しましょう!


朝倉宗滴(あさくらそうてき)

・一乗谷朝倉家3代に仕えた「朝倉氏最強の家臣」と称される最重要人物。
 (朝倉教景という名前もありますが、朝倉氏には同姓同名の人物が数名存在し分かりややこしいため本項では「朝倉宗滴」に統一します。)

・人気ゲーム「信長の〇望」にも登場。高齢ながら圧倒的能力で界隈では「チート爺」と称される。

 ※チート:いかさまのように凄い

 ※チート爺(チートじじい):高齢ながら驚異的な能力を持つチートキャラ

・極めて有能な武将であり、朝倉3代に仕えた期間には、周辺から容易に攻め込むことは出来ず、朝倉氏は盤石な地位を築いた。

・周辺国からも注視される人物であり、宗滴が亡くなったことで「川中島の戦い(第二次)」は和睦に持ち込まれたほど。

 


真柄十郎左衛門(まがらじゅうろうさえもん)

・戦国一とも称される怪力武将。

・身長7尺=2mを超す巨漢であり、3mを超す大刀「太郎太刀」を振り回す豪傑。

・国民的幼稚園児アニメ「クレヨンし〇ちゃん」の戦国時代を舞台とした人気映画作品に、モチーフとしたキャラが登場。

・「太郎太刀」は人気ゲーム「刀剣〇舞」の擬人化したキャラクターとして登場。

・人気戦国アクションゲーム「〇王2」に真柄一族の「真柄隆基」「真柄直澄」と共に登場。



富田勢源(とだせいげん)

・盲目ながら「最強の剣豪」とも称される小太刀の達人。

・坂本龍馬で有名な北辰一刀流を含む「一刀流」をはじめ、後の世の多くの剣術の祖となる「中条流(富田流/戸田流/外他流/當田流)」の重要人物。

・人気スマホゲーム「モン〇ター〇トライク」にも登場。



~~~~~


…ゲームやアニメ等において、通常の戦国武将達とはちょっと違った扱いが多いようです。「驚異的な能力だからこそ」でしょう。しかも同じ朝倉家の家臣として3人も!
YouTubeにもこの3人を取り上げている動画が数多く紹介されているようです。


一体何が人を惹きつけるのか?
一乗谷周辺に残るゆかりの地を巡りながら一緒に学んでいきたいと思います。


今回の記事で紹介する一乗谷周辺スポットはこちら↓

  • 永昌寺
  • 東郷地区の街並
  • 金吾谷
  • 越美北線 金吾谷踏切
  • 南陽寺跡庭園
  • 真柄十郎左衛門の屋敷跡(福井市東新町付近)
  • 富田勢源道場跡
  • 盛源寺
  • 朝倉景鏡館跡
  • 一乗滝

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Column

今回ご紹介する「一乗谷朝倉氏遺跡エリア」とは?

東西南を山に、北に足羽川に囲まれた天然の要害である地に、越前朝倉氏が築いた城下町跡です。戦国時代に朝倉氏が織田信長に滅ぼされ、柴田勝家により現在の福井市街地に街が移されるまでは越前の中心地として栄えました。街が「上書き」されずに約400年ものあいだ田畑の下に埋もれていたことから、城下町の遺構がそのままに残されている、全国でもとても貴重な遺跡です。詳しくはこちらの特集記事をどうぞ!

今回ご紹介する「一乗谷朝倉氏遺跡エリア」とは?

朝倉家の地位を盤石にした最強の老将!! 朝倉宗滴(あさくらそうてき)

朝倉宗滴の興味深いエピソードをもう少々ご紹介しましょう。


・30万の一揆勢に対し1万騎ほどの軍で撃退!(
PDF:福井県 歴史秘話)
・鷹に卵を産ませ孵化させるという当時には他に類をみない「養鷹法」に成功!(
PDF:福井県 歴史秘話)

・「急がば回れ」の元となる短歌を詠んだ連歌師「宗長」との付き合いも深く、手記には宗滴の山荘「昨雨軒」を訪れる等、複数の記載あり。(福井県史)

・朝倉宗滴の言葉を残した「朝倉宗滴話記」には興味深い記述多数(諸説あり)。(PDF:若越郷土研究 戦国家訓「朝倉宗滴話記」の成立と分類解説)

・大将は犬、畜生と言われようとも(どのような手段を使おうとも)戦いには勝利するのが第一。

・山城でも平城でも無理無躰に攻めることは大将として失格。有能な部下を見殺しにするからだ。

・必ず勝利するためには敵方の出方を熟知しなければならない。
・どのような人にも得手・不得手があるのだから、短所・長所に従って適材適所に召使えば、諸事のすべてを任せて主人は苦労しないですむ。

・織田上総介(信長)の行末を見届けたかった。(本人の言葉なのか諸説あり)


うーん、逸話を少し知るだけでも、「理想的な上司」のような人物像が思い浮かぶようです!

宗滴への興味が湧いてきたところで、ゆかりの地のご紹介に進みたいと思います。

一乗谷朝倉氏遺跡周辺のゆかりの地


まずは一乗谷朝倉氏遺跡周辺にある、ゆかりの地をマップで見てみましょう。

いわゆる「一乗谷」の城下町と城外の境目である、「下城戸(しもきど)」の外側にあります。

  • 永昌寺
  • 金吾谷

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永昌寺(えいしょうじ)~宗滴の位牌があり、宗滴の母親の菩提寺


永昌寺


JR越美北線「越前東郷駅」から南に徒歩5分の場所にある「永昌寺」。朝倉宗滴の母親である桂室永昌の菩提寺です。

こちらには朝倉宗滴の位牌があります。


扉の内側にある彫刻は朝倉家の三盛木瓜(みつもりもっこう)



永昌寺がある場所は一乗谷朝倉氏遺跡(この地図では右下の谷間付近)から外側のエリアになります。次に紹介する朝倉宗滴の屋敷があったとされる旧福田村周辺も永昌寺付近になります。


(地理院地図を使用)



朝倉宗滴の屋敷があったと伝わる場所その1 旧福田村(ふくでんむら)


1720年頃に作成された、越前の城跡・館跡などをまとめた「越前国古城跡并館屋敷蹟(えちぜんのくにこじようあとならびにやかたやしきあと)」(通称「城跡考(じょうせきこう)」)には朝倉宗滴の屋敷跡として「福田村際北方畑之内東西四十間南北三十間計」という記載があります。「福田村」は永昌寺の北側辺りだそうです。


永昌寺の北側にある越前美濃街道、堂田川(どうでんがわ)


はっきりした場所は分かっていないようですが、永昌寺の北側であるこの付近に屋敷があったのかもしれませんね。

この辺りは「東郷地区」という、かつての宿場町の雰囲気を残した味わい深いエリアです。一乗谷と合わせて、是非とも巡って頂きたい場所です。



朝倉宗滴の屋敷があったと伝わる場所その2 金吾谷(きんごだに)


金吾谷


こちらは城下町と場外との境である「下城戸」から出てすぐ近くの「安波賀(あばか)」エリアにある「金吾谷(きんごだに)」と呼ばれる場所です。金吾とは宗滴の別称であり、こちらも朝倉宗滴の屋敷があったと伝わる場所です。


(地理院地図を使用)


何故かあまり「金吾谷」は紹介されません。金吾谷という地名も地図上では出て来ませんが、唯一「金吾谷」の名前が入っているのが、こちらの「金吾谷踏切」です。


金吾谷踏切


こちらの踏切の向こう側に見えるのが先ほど紹介した「金吾谷」です。朝倉宗滴ファンとしては、是非とも写真に収めたくなるこの場所ですが、こちらの踏切には警報機が設置されていないため、線路を渡る際は電車の接近が無いか十分にご注意ください!!(線路上に立って写真を撮ることは危険!!)


金吾谷は石仏が並ぶ寺院跡である「西山光照寺跡(現在の福井市街地にある西山光照寺(福井大仏)に繋がります)」や、一乗谷に唯一現存する朝倉氏時代から続く寺社であり、朝倉氏から崇敬された「春日神社」がとても近く、一緒に巡ってみることをお勧めします。



一乗谷以外にある朝倉宗滴ゆかりの場所


龍興寺跡(写真:スポット情報から引用)


一乗谷朝倉氏遺跡付近の場所をご紹介しましたが、福井市に残る他のゆかりの地として、朝倉宗滴が一時期出家していたと伝わる「龍興寺(りゅうこじ)」跡があります。(こちらは一乗谷から車で40分以上&徒歩(Googleマップ)でしか行けない山中にあるため、一乗谷訪問のついでに行ける場所ではありません。)

龍興寺は、朝倉義景が犬追物を見物する際に一泊したり、朝倉氏が織田信長に敗れた後、朝倉義景の二人の娘が暫く隠れていたと伝わる等、朝倉家とゆかりの深い場所だったようです。

この項で紹介したスポット(一乗谷エリア)


※朝倉宗滴ゆかりの地以外も含みます。

永昌寺
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 創建は文明11年(1479年)、朝倉孝景によると伝えられています。本尊は釈迦如来。 寺名は朝倉孝景の妻(永正17年没)の法名(桂室永昌)によ…
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安波賀(あばか)には「金吾谷」という地名が残っています。金吾とは、朝倉宗滴の官途名を唐風に呼びならわしたもので、安波賀に宗滴の屋敷…
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福井市安波賀町には朝倉宗滴の館があったと思われる「金吾谷」と呼ばれる場所があります。すぐ近くの踏切はこの地名から「金吾谷踏切」と…
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福井市の東、東郷地区はかつての宿場町。まちの中心に流れる堂田川の周辺にはベンチや花などが手入れされており、レトロな街並を眺めて街…
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西山光照寺跡は、一乗谷朝倉氏遺跡と朝倉氏遺跡博物館の道中にある山裾、下城戸から600mほど離れた位置にある寺院跡です。一乗谷朝倉氏遺…
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太郎太刀で有名な巨漢&怪力!! 真柄十郎左衛門(まがらじゅうろうさえもん)


朝倉宗滴に続き、真柄十郎左衛門です。こちらでも興味深いエピソードをご紹介しましょう!


・身長はなんと7尺(210cm)の巨漢であり怪力。大太刀「太郎太刀」を振り回す。

・真柄一族が使用した大太刀は「太郎太刀」「二郎太刀」「真柄の太刀」として熱田神宮や石川県 白山比咩神社等に複数現存。

・明智光秀の「明智軍記」、織田信長の「信長公記」といった軍記物等にも登場する有名な武将。
・真柄十郎左衛門最後の戦い「姉川の合戦」では、真柄十郎左衛門が大太刀を振り回すと田んぼを耕したように屍が転がった。(
PDF:福井県 歴史秘話)

・徳川軍の猛将「本多忠勝」と一騎打ちをしたという話も!(諸説あり)


とんでもない猛将ということがよく分かりますね!それでは一乗谷付近の真柄十郎左衛門ゆかりの地に行ってみましょう!


一乗谷朝倉氏遺跡周辺のゆかりの地


まずは一乗谷朝倉氏遺跡周辺にある、ゆかりの地をマップで見てみましょう。

  • 真柄十郎左衛門の屋敷跡(福井市東新町付近)
  • 南陽寺跡庭園

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真柄十郎左衛門が足利義昭に驚異的な怪力を披露した南陽寺跡


南陽寺跡


1567年(永禄10年)、足利義昭は朝倉5代目朝倉義景を頼り一乗谷にやって来ます。「朝倉始末記」には、翌年1568年春に南陽寺にて開催された「観桜宴(かんおうのうたげ/桜を楽しむ歌会)」における真柄十郎左衛門の驚異的なエピソードが残っています。

義昭の家来が「越前の真柄は無双の大力で、大太刀使いとしてその名は天下に鳴り響いている」と述べ、真柄十郎左衛門が呼ばれました。下僕8人で運んできた「太郎太刀」(長さ9尺5寸=約285㎝、柄は2尺=約60㎝)、下僕6人で運んできた「次郎太刀」を受け取り、軽々と頭上で数十回振り回し、豪傑ぶりを披露しました。皆は、「夜叉神も及ばない」と感嘆したそうです。(参考:福井の戦国 歴史秘話(PDF/517KB) / 朝倉始末記(デジタルアーカイブ福井))


舞台となった南陽寺は朝倉氏一族により創建されたと伝えられる尼寺であり、庭園は特別名勝に指定されています。

この南陽寺なのですが、写真等は資料等によく掲載され一乗谷朝倉氏遺跡の中ではかなり有名なスポットであるものの、なかなか行き方が分かり辛いです。真柄十郎左衛門ゆかりのこの地を訪れてもらうため、じっくりお伝えしましょう!



ざっくりした場所としてはこちらの航空写真(地理院地図を使用)をご覧ください。

まずは一乗谷朝倉氏遺跡を南北に走る「福井県道18号鯖江美山線」にあるバス停「朝倉館前」(Googleマップ)から少し南に、東に向かう道を見つけます。



そこから東側の山を見ると「一段と高くなっている場所」が見えますね。その辺りが南陽寺跡です。



東側の山近くを探しても、いまいち南陽寺に続く道が分からないと思います。僕も瓜割清水辺りでうろうろ迷ってしまいました。実は…この住宅の間の細い道を進むのです!(一応案内板がありますが、まさかこの道を進むとは、僕も全く予想していませんでした…)



不安な気持ちを抑えてガンガン進みます!道が途中で分かれていて不安度MAXになりますが…、実はどちらに進んでも大丈夫です。



着いた~!!

来る時の不安度MAXを考えると、着いてみるとそんなに険しい道のりでもありませんので安心してください。

この広い場所が南陽寺跡です。このどこかで真柄十郎左衛門が太郎太刀、次郎太刀を振り回し、足利義昭が感嘆していたんだなぁと思うと、とても感慨深いですね…。


登ってきた坂道から見ると奥の場所に、パンフレット等でよく見る有名な「南陽寺跡庭園」の庭石があります。

なお「芸術家の岡本太郎氏がたいへん感動した」という「湯殿跡庭園」、「諏訪館跡庭園」、「朝倉館跡庭園」を合わせた4つの庭園跡が特別名勝に指定されています。多くの人が「特別名勝って何?」と思われると思いますが、いわば「景観・庭園の国宝」なのです!そう思うと凄いですね!ぜひ4つとも訪れてみてください!



福井市東新町~一乗谷にもあった伝・真柄十郎左衛門屋敷跡(詳細地不明)


「越前国古城跡并館屋敷蹟(城跡考)」には「屋敷跡 朝倉家 真柄十郎左衛門 一乗谷東新町村北方田畑之内ニ在」と書かれています。具体的に屋敷跡がどの場所にあったのかということは分かっていないようですが、現在の福井市東新町の北側はこの辺りになります。真柄十郎左衛門は現在の越前市の上真柄、下真柄あたりを拠点とした真柄一族の武将であり、一乗谷に行く時だけに使っていた屋敷なのでしょうか。


福井市東新町


越前国古城跡并館屋敷蹟(城跡考)のような古い記録や、越前国之図(1685~/デジタルアーカイブ福井)には「〇〇の屋敷跡」が多数記載されています。きっと現代のように土地改良や住宅化が進む以前は、田畑等の中に「屋敷跡」が分かる形状が長年はっきりと残っていたのでしょうね。

僕は素人ながら「もしかしてこの地形は…、ひょっとするとこれが屋敷の痕跡なのかもしれないな!」と考えながら現地を訪れるのが好きですね。

この場所は具体的なスポットではありませんが、今回の記事で取り上げている中条流の剣豪「富田勢源」ゆかりの富田勢源道場跡盛源寺は、このストリートビューで見える西側に続く細い道(車での通行は不可)の先にあるので、ついでに巡って頂ければと思います。


真柄一族ゆかりの地は本拠地である越前市に多数あり!


先ほど紹介したように、真柄十郎左衛門をはじめ大太刀で知られる真柄一族の拠点は、現在の越前市にあった「真柄荘」です。そのエリアを中心に、とても多くのゆかりの地が残っています。


一乗谷(福井市)から真柄荘(越前市)までは少々距離があります(地理院地図を使用)。


インターネット上にはあまり情報がありませんが、このサイト「福いろ」は一味違いますよ!全国の戦国、真柄十郎左衛門、太郎太刀ファンのために福井市嶺北地方に残るスポットを紹介しておきますね。太郎太刀を作った越前の刀工「千代鶴国安」ゆかりの場所もありますよ!

  • 真柄十郎左衛門の屋敷跡(福井市東新町付近)
  • 南陽寺跡庭園
  • 大山咋神社(越前市宮谷町)
  • 真柄十郎左衛門直隆の墓(興徳寺)
  • 新宮神社(越前市真柄町)
  • 真柄十郎左衛門直隆誕生の碑
  • 泰清院
  • 明神垣内地蔵尊(おこり地蔵尊)
  • 千代鶴神社

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この項で紹介したスポット(一乗谷エリア)


※真柄十郎左衛門ゆかりの地以外も含みます。

南陽寺跡庭園
南陽寺跡庭園
南陽寺は朝倉氏一族により創建されたと伝えられる尼寺です。仏殿とされる建物と庭園が確認され、庭園は特別名勝に指定されています。約5,…
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瓜割清水
瓜割清水
福井市の歴史スポット、「一乗谷朝倉氏遺跡」のなか、住宅地の間にひっそりとたたずむ湧き水です。当時の儀式や当主の生活用に使われたと…
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Column

「真柄氏家記覚書」には興味深い情報がたくさん!!

福井県立歴史博物館が2020年に入手した「真柄氏家記覚書」には大変興味深い記述が沢山含まれています。

・真柄十郎左衛門は2名いた!(真柄家正と真柄直隆)

・真柄家子孫 田代養山は真柄十郎左衛門を打ち取った匂坂式部から合戦の話を聞いていた!

・真柄十郎左衛門の妻は朝倉宗滴の娘だった!

・富田勢源と真柄景忠との対決があった!


大河内学芸員によるこちらの紹介はたいへんお勧めです!

「真柄氏家記覚書」には興味深い情報がたくさん!!

盲目の達人で一刀流の祖!! 富田勢源!!


富田勢源のエピソードをもう少し触れておきましょう。


盲目(!!)ながら凄まじい小太刀の達人

・神道流達人 梅津某との御前試合にて、近くにあった一尺二、三寸(約40cm)の割木を手に取り、あっさりと打ち負かしたという逸話あり。
・弟には富田景政(とだかげまさ/豊臣秀次に指南)、義理の甥には富田重政(とだしげまさ/前田利家に重用され「名人越後」と称された)、弟子には鐘捲自斎(かねまきじさい/一刀流の祖である伊藤一刀斎(いとういっとうさい)の師)。

・宮本武蔵のライバル 佐々木小次郎も富田勢源の弟子とする説もあり。
中条流富田流(戸田流、外他流、當田流)とも呼ばれ、一刀流を含む多くの剣術、柔術の祖であり、現代剣道や合気道にもつながる。

 念流

  中条流(富田流)

   → 一刀流

    → 小野派一刀流

     → 中西派一刀流 → 北辰一刀流 → 現代剣道に大きな影響

     → 大東流合気柔術 →合気道

      ※他の流派からの影響もあります。


え⁉現代剣道や合気道にもつながるの⁉と驚く方もいると思います。幕末江戸三大道場の北辰一刀流 玄武館(げんぶかん/坂本龍馬も門人)もこの中条流の流れですよ!

剣道、合気道、大東流合気柔術を経験している僕にとってはとても思い入れがある話題です。


国書データベース「武藝小傳」(1716刊)


それでは行ってみましょう!

なんと前述の最強家臣(一族)との決闘話も出てきますよ!

一乗谷朝倉氏遺跡周辺のゆかりの地


まずは一乗谷朝倉氏遺跡周辺にある、ゆかりの地をマップで見てみましょう。

(一乗滝は富田勢源の弟子ゆかりの地となります。)

  • 富田勢源道場跡
  • 盛源寺
  • 一乗滝

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富田勢源道場跡~この場所から中条流、一刀流への歴史が続いている!


富田勢源道場跡


こちらが富田勢源の道場跡と伝わる場所です。

加賀藩 前田利家の家臣であり1万3670石の所領を与えられた「名人越後」富田重政(とだしげまさ)、後に多くの一刀流の祖となる伊藤一刀斎の師である鐘捲自斎(かねまきじさい)、もしかすると佐々木小次郎も?、多くの富田流・中条流の剣豪達がこの地で修行していたのかもしれません。そう考えると熱い場所ですね。

先に述べたとおり、後世の多くの武道・武術を辿るとこの地に行き着く訳ですから、現代の剣道家、合気道家もぜひ訪れて欲しい場所です。

(合気道黒帯である僕は、大学時代の先輩に「合気道のルーツとも言える富田勢源道場跡地で、是非僕に関節技をかけてください!」とお願いしましたが、「イヤだ」と断られました笑。)


(地理院地図を使用)


さて、この富田勢源道場跡地は、一乗谷朝倉氏遺跡の復原街並からは南に950m(徒歩14分程度)の位置にあります(ルート/Googleマップ)。福井駅からであれば京福バス(一乗谷東郷線)に約30分乗車し「西新町」を下車、そこから徒歩2分程度の場所にあります(ルート/Googleマップ)。道場跡地には建物が無いため分かり辛いですが、隣接地に立っている「神明神社」を目安にすると良いですよ。



バス停「西新町」のある県道 一乗谷朝倉氏遺跡東大味線から向かうと(ルート/Googleマップ)、神明神社の北東隣が富田勢源道場跡です。奥に見える小さな木の辺りですね。



先に紹介した、真柄十郎左衛門の屋敷跡があったと思われる「福井市東新町」を通る県道 鯖江美山線から来るのであれば、こちらの「勢源橋」を徒歩で渡ります。富田勢源の名前を冠した橋があるなんて熱いぜ!



道場跡にはいくつかの立て看板に説明があります。こちらには「中条流平法伝授十二巻」から「秘術は、民をもって、国を治め多くの人々をよい方向に導き、衆人を愛し、いつくしむこと、これらはすべてこの秘術の道によるところである。出来ることならば、この秘術を敬い、秘伝として、大事に伝えていってほしいものだ。」と書いてあります。うーん、なんという崇高な教えなのでしょうか…。


通常は武術のことを兵法(へいほう/ここでは戦略を意味する兵法ではなく武術を意味する言葉)と書きますが、中条流・富田流では「平法」と書きます。この地で達人を多く輩出したこの流派が「心を平らかに」と表現する精神は、今の武術、武道に引き継がれていると思います。



盛源寺(せいげんじ)~富田勢源の菩提寺


盛源寺


さて、お次は富田勢源の菩提寺とされている盛源寺をご紹介しましょう。名前が同じ「せいげん」という読みですが、創建は富田勢源が生まれる前だそうです。

なお盛源寺は福井市春山にある現在の清源寺(せいげんじ)に関係しているそうです。朝倉家滅亡後に柴田勝家が現在の福井駅周辺に街を移したため、福井市街地には一乗谷をルーツにしている寺社がとても多いのです。(参考:福井県史「勝家の寺院政策」)


一乗谷の盛源寺には3m近い大きな地蔵をはじめとして、大小約700体の石仏等が存在し、周辺の盛源寺墓原(ぼげん)では約220体の石仏等が確認されています。石仏ファンの方は是非訪れて頂きたいエリアですね。


(地理院地図を使用)


盛源寺の位置についても詳しい案内資料が少ないため、こちらで少々詳しく説明しましょう。先ほどの富田勢源道場跡から、西南西に300m(徒歩5分)程度の山麓にあります(ルート/Googleマップ)。



こちらは駐車場辺りから見上げた写真です。僕は初めて訪れた際、「山深い場所だったらどうしよう…」と思い、つい躊躇して引き返してしまいました。しかし安心してください。この民家のように見える建物が盛源寺であり、すぐ辿り着けます。この写真に見える階段を上り、道なりに右上方向に進んで行きます。



するとすぐに階段に出くわします。V字に左折し上がって行くとすぐに盛源寺に着きます。上の写真のとおり、この階段沿いにも石仏が沢山並んでいますよ。



盛源寺の前にも石仏、石塔が多くあります。この立派な石塔には「永正六年(1509年)」と彫られており、1524年生まれの富田勢源も目にしていたのかもしれませんね。なお富田勢源の菩提寺と伝わっているとは言え、墓石がどこにあるのかはどうも分かっていないようです。

富田勢源の墓所が分からないのは残念ではありますが、福井県のおとなり石川県金沢市にある「慈雲寺(金沢市役所サイト)」には、富田家を継いだ「名人越後」の富田重政(富田勢源より家督を譲られた富田景政(豊臣秀次に剣術を指南)の娘婿)の墓や、富田家累代之墓があるそうです。



朝倉景鏡(あさくらかげあきら)館跡~富田勢源と真柄景忠との夢の対決の場か!?


朝倉景鏡館跡


富田勢源は有名な割に資料が少ないのですが、2020年に福井県立歴史博物館が入手した「真柄氏家記覚書」には、勢源に関するとんでもない新情報が含まれていました!それはなんと朝倉家が誇る「小太刀の超絶達人」富田勢源と、真柄十郎左衛門に代表される真柄一族の「野太刀の兵法」との対決!!

舞台は朝倉景鏡館だったらしいのですが、一乗谷朝倉氏遺跡の中で朝倉景鏡館跡と伝わるのはこちらの「中惣(なかそう)」と呼ばれている場所になります。


北から一乗谷に入り、下城戸を通り過ぎてすぐ左手の広場

(地理院地図を使用)


どうしてこのような対決が実現したかというと、朝倉景鏡(朝倉義景を裏切り朝倉家を滅亡に追いやった人物)が強く希望したためだそうです。達人同士の対決は、両者の品位や面子を保つためにも避けるきらいがあると思いますが、さすが朝倉景鏡、家臣が嫌がることを強要する姿勢に何ともいやらしい性格が見え隠れする気が…。


真柄氏家記覚書(真柄左馬助景忠と富田勢源(戸田清元)の対決部分)


朝倉景鏡に対し真柄景忠は「我が野太刀は敵軍の城門・塀・柵を断ち切り破るためのもの。どうして小太刀と勝負を争うのか。」と答えたものの断り切れず、朝倉景鏡邸で勢源と対決することになります。勢源は向かうことが出来ずに退いたので、景忠は大太刀を振り回し、庭にある松の木を切って落としただけだったそうです。

うーん、相手と自分のどちらも面子を潰さない、なんとも大人な対応…。夢の対決が大人の対応で終わり、多少残念な気持ちもありつつ、なんだかほっとしました。


この話は朝倉家滅亡後の真柄一族の子孫である田代養仙が、景鏡の小姓として座敷で実際に対決を見ていた人物の子である神明寿福院から聞いた話らしいので、夢の対決が実際にあった可能性は高そうですね。



富田勢源の弟子?佐々木小次郎の出身とされる浄教寺町(じょうきょうじちょう)と一乗滝


浄教寺町にある乗滝と佐々木小次郎像 (写真:スポット情報より引用)


日本人なら誰でも知っている佐々木小次郎。宮本武蔵との巌流島での対決は有名ですね。武蔵の門人たちの話が江戸時代中期に整理された伝記「二天記」によれば、「岩流小次郎(佐々木小次郎)」は、「越前宇坂の庄、浄教寺村(福井市浄教寺町)」出身であり、「富田勢源の家人となって幼少より稽古を見覚え」とあります。(参考:福井市ホームページ)


「二天記」にある岩流小次郎(佐々木小次郎)と富田勢源に関する記述部分

(引用:国立公文書デジタルアーカイブ)


ところが佐々木小次郎については謎が多く、そもそも「佐々木姓だったのかどうか」も確たる情報は無く、「出身地」や「年齢」も不明であり、富田勢源の直弟子だとすると年齢に無理がある、という説もあります。「一乗滝でつばめ返しを編み出した」という逸話がありますが、本当なのかどうかは分かりません。

ただ、この二天記に小次郎の出身地と記載されている「浄教寺町(じょうきょうじちょう)」は、富田勢源道場跡地からとても近く、集落まではたった1km少々の場所にあります(ルート/Googleマップ)。(また先ほど紹介した富田勢源道場跡にある立て看板で紹介されている「中条流平法伝授十二巻」には「燕廻(つばめ返し)」が記載されているのも興味深いです。)


(地理院地図を使用)


この近さを考えると、佐々木姓や年齢はともかく、二天記にある「富田勢源門下」「浄教寺町出身」という話はやはり本当だったりするのかな…とロマンが掻き立てられますね。これはもう一乗谷朝倉氏遺跡、富田勢源ゆかりの地と共に、福井市浄教寺町の一乗滝にも訪れてみたくなりますね!

(なお全国に複数個所ある小次郎の出身地説のうち、福井県内にあるもう一つの場所は出身地どころか生家(!!)として越前市の高善寺(こうぜんじ)に非常に興味深い伝承が残っています。高善寺の隣には「小次郎公園」があり、近くの山には同じく「つばめ返しを編み出した」と言われる「柳の滝」があります。)

この項で紹介したスポット(一乗谷エリア)


※富田勢源ゆかりの地以外も含みます。

富田勢源道場跡
富田勢源道場跡
戦国時代の一乗谷朝倉氏に仕えた剣豪「富田勢源」の道場跡地です。富田勢源は中条流(富田流)の達人であり、ほぼ盲目でありながらも、美濃…
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盛源寺
盛源寺
 盛源寺は福井市春山にある現在の清源寺(せいげんじ)に相互に関係すると考えられています。清源寺は明応年中(1492~1501)、開山真盛上人…
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朝倉景鏡館跡
朝倉景鏡館跡
 当地は「一乗谷古絵図」によれば、朝倉式部大輔景鏡(あさくらしきぶのたゆうかげあきら)の館があったところと推定されています。景鏡は…
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一乗滝
一乗滝
朝倉氏遺跡を貫いて流れる一乗谷川の上流に、落差17mの荘厳な水の糸を引く一乗滝。ここは、泰澄(たいちょう)大師が白山大権現をまつり、…
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Column

富田勢源は坂本龍馬の北辰一刀流にもつながる!

先に紹介したとおり、富田勢源の富田流・中条流は多くの一刀流の祖であり、江戸三大道場「玄武館(千葉道場)」で坂本龍馬が学んだ北辰一刀流も中条流(富田流)の支流となります。福井市内には坂本龍馬の聖地である莨屋旅館跡もありますが、ぜひ坂本龍馬ファンにも一乗谷の富田勢源道場跡を訪れてみて欲しいと思います。

富田勢源は坂本龍馬の北辰一刀流にもつながる!

おまけ:最強家臣が生きた時代

最強家臣の3人はどの時代を生きた人物なのでしょうか。最後にちょっと見てみましょう。


うーん、こうやって並べてみるとまた趣が違いますね。

大河ドラマ等では役者さんの年齢を史実に合わせている訳では無いので、イメージが違う場合もありますね。


富田勢源は没年は分かっていません。しかし記録に残る「梅津某との決闘」が1560年らしいので、それ以降の没年と思われます。

真柄十郎左衛門直隆は織田徳川連合軍と浅井朝倉連合軍が衝突した「姉川の戦い」にて、1570年に討死しています。


ここで驚きなのは朝倉宗滴の長寿!

一乗谷朝倉家3代当主 朝倉貞景、4代当主 朝倉孝景、5代当主 朝倉義景の3代に仕えています。
しかも亡くなる直前まで最前線で活躍し、他国から驚異として捉えられていたというのですから驚きです!


信長が一躍注目を浴びた「桶狭間の戦い」は1560年ですから、三英傑(信長、秀吉、家康)や明智光秀等の超メジャー級武将が頭角を出す前に朝倉宗滴は既に亡くなってしまっているんですね。どうりで一般的に良く知られている戦国もののドラマ等ではあまり登場しない訳です。

Column

明智光秀も一時期朝倉氏に身を寄せていた?

メジャー級大名の明智光秀は、織田信長に仕える前は朝倉氏に身を寄せていたと伝わります。一乗谷から西の山を越えた「東大味(ひがしおおみ)」には明智光秀館跡と伝わる「明智神社」、丸岡町には門前に光秀が住んでいたと伝わる「称念寺」があります。光秀の人生を描いた「明智軍記」にも越前の地名は驚くほど数多く登場します。2020年大河ドラマ「麒麟が来る」でも「越前編」はとても長く、重要な時期として描かれていましたね。

なお織田信長(「福井×織田信長」はこちら)もルーツは越前町「劒神社」である等、こちらもとても福井にゆかりの深い人物でもあります。

明智光秀も一時期朝倉氏に身を寄せていた?

まとめ

・戦国時代の城下町の歴史や文化が遺跡として残る一乗谷朝倉氏遺跡は、見どころの歴史や逸話がたくさん!

・あまりに広大でどこを見て良いか分からないと思いますが、家臣等の特定の人物に注目することで、歴史や遺跡への見方も変わり、楽しみ方も更に増えますよ!

・今回の「最強家臣」を知った後は、登場するゲームへの思い入れも、福井の一乗谷へ行きたい気持ちも、共に強まるでしょう!

・定番のルートだけじゃなく、興味深い逸話が残るスポットにも、是非足を運んでみてください!

最後に

Tomo&Yasu
Tomo&Yasu
具体的に興味を持つイメージがあると、なんだかその人が存在していた場所に立ってみてみたくなる、これが歴史スポットの特徴ですね。「今年は館山の海に行ったから別の海には行かなくて良いかな」とはならない、「他に替えが効かない」「観光地としての大小には関係ない」というところが面白いと思います。福井には意外な歴史スポットが沢山ありますよ。ぜひ「福いろ」の記事を読んで「福井に行きたくて仕方ない度」を増幅させてください!
それではまた~。
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