福井城址

徳川家康の次男である結城秀康によって築かれた城の石垣と堀が残る

福井城は、徳川家康の次男・初代福井藩主・結城秀康が慶長11年(1606)に築城し、約270年間17代にわたり越前松平家の繁栄の舞台となった名城です。築城当時は高さ37m・四層五階の雄大な天守閣が建っていましたが、大火で焼失。現在では城下近郊の足羽山(あすわやま)で採掘される笏谷石で築かれた石垣と堀の一部だけが残るのみです。南に架かる御本城橋を渡った本丸御殿跡には福井県庁が建ち、春には桜が咲き誇る天守台下には、福井の名の起こりとなったという「福の井」と呼ばれる井戸跡があります。


福井城絵図(福井市立郷土歴史博物館提供)福井城絵図(福井市立郷土歴史博物館提供)


基本情報

電話番号
0776-20-0252(福井県財産活用課)
住所
福井県福井市大手3
営業時間
見学自由
定休日
料金
無料
アクセス
JR福井駅から徒歩5分/北陸自動車道福井ICから車で15分
関連資料

福井城下歴史手帳

福井の地名の由来
福井の地名は中世の荘園「足羽北庄(あすわきたのしょう)」に起源を持ち、柴田勝家が築いた城だけでなく、初代藩主結城秀康が築いた城も「北庄城」と称していました。三代藩主松平忠昌は「敗北」に通じて縁起が悪いとして「北」の字を嫌い、縁起の良い「福居」と名を改めたといわれます(1624年)。
幕府が書類を書き間違えた?
「福居」から「福井」に漢字が変わったのは、1686年(貞享3年)に、幕府が書類に「福居」と書き誤ったことによると言われます。当時の福井藩の役人が幕府の書き間違いに気が付いていたのかいなかったのか、分かっていて直さなかったのかなど、詳しくは分かっていませんが、それ以後「福井」の漢字が定着していったようです。(諸説あります)
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