福井市の歴史をたどる。徒歩で巡る「幕末の名君松平春嶽ゆかりの地」
幕末維新、2021年NHK大河ドラマ『晴天を衝け!』の主人公、渋沢栄一が生きた激動の時代は、福井藩が重要な役割を担っていました。そのキーマンが松平春嶽や橋本左内、三岡八郎(由利公正)です。彼らの活躍や功績を垣間見られるスポットを巡ります。
- 所要時間
- 日帰り(3~6時間)
- 交通手段
- 電車、徒歩
福井鉄道福井駅
左内公園
幕末の志士、橋本左内の墓所と啓発禄の碑がある
橋本左内の墓と像がある。橋本左内は、幕末の福井藩士。藩主松平春嶽の右腕として、将軍継嗣問題、外交問題について開国派として奔走。しかし、安政の大獄により捕らえられ、26才の若さで斬首された。
- 住所
- 左内町7−7
- 営業時間
- 見学自由
百坂
水道記念館の脇の百坂でゆやの清水跡を見てから横坂に入り、幕末の歌人橘曙覧の歌碑へ
百坂は、水道記念館の脇から足羽山に登る急勾配の階段で、百坂の登り口には、斎殿清水(ゆのやしょうず)と言われるわき水が出ていた跡地があります。
この清水は、福井震災から出なくなったと言われていて現在は水は湧いていませ。
福井の幕末の歌人、橘曙覧の妻は、毎日この清水に水を汲みに行ってたといわれ、雨の日などは道がぬかるみ大変に苦労した、と曙覧の読んだ句に残っています。
坂は途中で、横坂、最終的に愛宕坂に合流します。石段には福井特産の石である笏谷石が用いられています。
- 住所
- 足羽1丁目
- 営業時間
- 見学自由
橘曙覧記念文学館
橘曙覧記念文学館の中にある橘曙覧と健子の親子像を眺められる。その先、笏谷石の石畳「愛宕坂」を下りましょう。
橘曙覧は、明治時代に正岡子規が絶賛したことで、広く世に認められた幕末の歌人です。 橘曙覧記念文学館は、曙覧の旧家「黄金舎(こがねや)」跡に建てられています。 曙覧は21歳でこの愛宕(あたご)山(現、足羽山)の黄金舎に隠棲し、清貧の暮らしのなかから、生活・社会・自然を奔放に詠みつづけていました。 文学館では、橘曙覧が住んでいた「藁屋」の一部を推定復原したコーナー、曙覧の書、作品、生涯・幕末の関連人物を紹介するコーナーなど、曙覧のさまざまな世界を知ることができます。
- 住所
- 足羽1-6-34
- 電話番号
- 福井市橘曙覧記念文学館 0776-35-1110
- 営業時間
- 9:00~17:00(入館は16:30まで)
- 休業日
- 年末年始(12/28~1/4)、
臨時休館日
由利公正宅跡
五箇条の御誓文の草庵を作った由利公正ゆかりの地。公正宅の跡、坂本龍馬の歌碑、由利公正の銅像などがある。
横井小楠に師事し、福井藩財政を再建した福井藩士由利公正は、明治新政府で金融財政を担当し、「五箇条の御誓文」起草にも参画。 現在の足羽川河川敷のところにあったとされている由利公正(当時は三岡八郎)の居宅跡には石碑が建てられている。 宅跡のあたりは、「毛矢侍」と呼ばれる下級武士が住んでいた地域で、由利公正は、この地から福井藩の重要な家臣として出世していく。
- 住所
- 毛矢2-1
- 営業時間
- 見学自由
坂本龍馬の歌碑
由利公正と親交があった坂本龍馬の歌碑が残る。
公正宅で会談中、龍馬が詠んだ歌が彫られている。石は龍馬の故郷(高知県)から取り寄せたもの。 『君がため捨つる命は惜しまねど心にかかる国の行く末』
横井小楠寄留地跡
福井藩政を指導した横井小楠が寄留した地
横井小楠は福井藩主松平春嶽の招きを受けて、4度福井に訪れている。 文久3年(1863年)に来福した際にはこの地に寄留し、藩政を指導していた。 足羽川の対岸には由利公正の自宅跡もある。
- 住所
- 中央3-11
10分
佐佳枝廼社
徳川家康公、松平秀康公、松平春嶽公をお祀りする神社
福井市中心地にあり、寛永5年(1628年)、福井城内に鎮守として東照宮(徳川家康)を祀ったことに始まります。明治6年(1873年)に福井藩祖である松平秀康の偉業を称え祀るにあたり、松平春獄公が「福井が栄えるように」という願いを込めて「佐佳枝廼社(さかえのやしろ)」と命名されました。その後、戦災や福井地震によって焼失してしまいましたが、京都市下鴨にある三井家祖霊社を譲り受け、昭和24年(1949年)に移築移転し拝殿としました。
- 住所
- 大手3-12-3
- 電話番号
- 0776-27-2754
- 営業時間
- 見学自由
- 休業日
- 無
福井城址 山里口御門
山里口御門を抜けて、御廊下橋を渡りましょう。その先の中央公園は、藩主の住居(御座所)があった場所で、この橋はいわば藩主の通勤路。
山里口御門は、「廊下橋御門(ろうかばしごもん)」や「天守台下門(てんしゅだいしたもん)」とも呼ばれていた福井城本丸の西側を守る枡形門(ますがたもん)です。 江戸初期から本丸の西につながる西二の丸には松林があり、山里丸と呼ばれていました。山里口御門は、この山里丸から本丸への入口の門として、築城当時に造られました。寛文9年(1669)の大火で天守などとともに焼失しますが、その後再建されました。 2階部分に櫓(長屋状の建物)が載る櫓門(やぐらもん)、2本の柱とその上部を連結する冠木(かぶき)で屋根を支える構造の棟門(むなもん)、そしてこれら2つの門とともに枡形を形成する石垣上の土塀を復元しました。
- 住所
- 大手3-17
- 電話番号
- 福井県総合政策部交通まちづくり課 TEL0776-20-0724
- 営業時間
- 7:00~18:00
(ただし、荒天時には臨時に休館することがあります)
福井城址
福井の地名の由来となったという説もある「福の井」は必見。青い笏谷石は目を惹く美しさ。
福井城は、徳川家康の次男・初代福井藩主・結城秀康が慶長11年(1606)に築城し、約270年間17代にわたり越前松平家の繁栄の舞台となった名城。築城当時は高さ37m・四層五階の雄大な天守閣が建っていましたが、大火で焼失。現在では石垣と堀の一部だけが残るのみですが、広大な堀の姿からも、当時の規模をうかがい知ることができます。また、福井の名の起こりとなったという「福の井」と呼ばれる井戸跡が天守台下にあります。
- 住所
- 大手3
- 電話番号
- 0776-20-0252
- 営業時間
- 見学自由
- 休業日
- 無
7分
福井市立郷土歴史博物館
幕末の名君、松平春嶽の像がある。福井藩、越前松平家に関する資料も充実。
福井藩主であった松平家の資料を中心に、城下町の暮らしぶりや戦災、震災などの資料を常設展示しています。福井城本丸や九十九橋の復元模型やCGを使った展示なども見どころです。さらに、江戸時代の衣服や道具を体験できる「へんしん越前屋」では江戸時代の衣服や道具を体験することもでき、楽しみながら歴史を学ぶことができます。
館外北側にある展示「福井城舎人門遺構」は、建築前に見つかった堀や土塁の遺構とともに復元されています。
- 住所
- 宝永3-12-1
- 電話番号
- 福井市立郷土歴史博物館 0776-21-0489
- 営業時間
- 9:00~19:00(3月1日~11月5日)*ただし入館は18:30まで
9:00~17:00(11月6日~2月末日)*ただし入館は16:30まで - 休業日
- 年末年始(12月28日~1月4日)と展示替えによる臨時休館日。
名勝 養浩館庭園(旧御泉水屋敷)
越前松平家の別邸。城主気分で散策を。
養浩館は福井藩主松平家の別邸で、江戸時代には「御泉水屋敷(おせんすいやしき)」と称されていました。庭と密接な関連の基に建造された池の周囲の書院建築の数々と、広大清澄な園池を主体とした回遊式林泉庭園(かいゆうしきりんせんていえん)は江戸中期を代表する名園の一つとして広く知られていました。
福井大空襲で建造物が焼失しましたが、昭和57年に国の名勝に指定されたことが契機となって、文政6年の「御泉水指図」により近年、整備が行われました。現在では、建造物・池だけでなく玉砂利・石組・樹木も四季折々に風趣が漂い、庭園の趣を楽しめます。
米国の専門誌「ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデン」による日本庭園ランキングでも上位に選ばれる名勝。
- 住所
- 宝永3-11-36
- 電話番号
- 福井市立郷土歴史博物館 0776-21-0489
福井市文化振興課 0776-20-5367 - 営業時間
- 9:00~19:00(3月1日~11月5日)*ただし入館は18:30まで
9:00~17:00(11月6日~2月末日)*ただし入館は16:30まで - 休業日
- 無休。ただし年末年始(12月28日~1月4日)を除く。