燧ヶ城跡(火打城跡)
1183年に木曽義仲が築城
今庄宿の背後にある通称愛宕山に平安時代末期頃に築かれた標高267mの山城です。今庄駅から近く、ハイキングコースにもなっています。
源平合戦の最中、寿永2年(1183)の木曽義仲(源義仲)と平家の戦いの際に、平維盛(惟盛/これもり)を迎え撃つ為に仁科守弘に命じ築城。平家物語の巻第七「火打合戦」は「木曾義仲、越前国火打が城を構える」から始まっています。北陸路から攻め入ろうとした義仲に対し、平維盛の10万の大軍が押し寄せてきましたが、義仲は日野川をせき止め、人工湖を造りました。しかし義仲側に付いていたはずの平泉寺長吏斉明威儀師の裏切りにより堰が切られ、燧ヶ城は落城しました。
その後も1336年に今庄入道浄慶の居城となり新田義貞勢と対峙、1573年には一向一揆勢が立て籠り信長に対抗しましたが敗れ、その後は廃城となりました。山頂には投石用に使ったと思われる巨石が散乱し、物見櫓跡、堀切後、石垣等が残ります。
- エリア
- 鯖江・越前たけふエリア
基本情報
- 住所
- 福井県南越前町今庄・南今庄
- アクセス
- ハピラインふくい今庄駅から徒歩25分