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寂光苑
出家の志を立てた道元禅師の少年期の姿をかたどった「稚髪像」をはじめ、師匠如浄禅師の恩に報いる「如浄塔」や永平寺歴代住職のお墓などが並びます。苑内の「寂照の鐘」は、一般参拝者が自由に撞いて道元禅師の遺徳を偲ぶことができます。
寂光苑
  • 一乗谷・永平寺エリア
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西山光照寺跡
笏谷石の石仏が並ぶ寺院跡
西山光照寺跡は、一乗谷朝倉氏遺跡と朝倉氏遺跡博物館の道中にある山裾、下城戸から600mほど離れた位置にある寺院跡です。一乗谷朝倉氏遺跡発掘にあたり発掘、石仏覆屋が再建され、多くの石仏が安置されています。現在の西山光照寺は福井市の市街地にあり(越前大仏)…
西山光照寺跡
  • 一乗谷・永平寺エリア
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伊自良館・伊自良温泉
自然あふれる静かな温泉
山あいの静かな場所にある自然あふれる伊自良館(温泉)は、日本には数少ない「脳卒中に効能のある湯」といわれる天然温泉です。
伊自良館・伊自良温泉
  • 一乗谷・永平寺エリア
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青木蘭麝堂
一子相伝で400年。戦国大名朝倉家ゆかりの滋養酒を醸造販売
四百余年の老舗。戦国大名朝倉家ゆかりの一子相伝の滋養酒「蘭麝酒」を醸造販売している。また、庭園および2本の樹木が福井市指定文化財に、3つの建物が国の登録有形文化財となっています。
青木蘭麝堂
  • 一乗谷・永平寺エリア
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一乗谷朝倉氏遺跡 平面復原地区
城下町跡の痕跡から当時へ思いをはせる
戦国時代に朝倉氏5代103年にわたり越前の国を支配し、栄華を極めた城下町跡「一乗谷朝倉氏遺跡」この地区には幹線道路が南北に走り、西の山際には多くの寺院跡があって、土塁、柿経、卒塔婆、墓地などが発見されています。道路沿いには、大甕を並べた紺屋をはじめ、数…
一乗谷朝倉氏遺跡 平面復原地区
  • 一乗谷・永平寺エリア
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照恩寺
新しい仏教芸術「テクノ法要」発祥の寺
1476年(文明8年)吉崎御坊焼失後、朝倉敏景公が蓮如上人の近親にあたる蓮實を坊職に迎え、一乗城下新町に建立した御坊が照恩寺の始まりです。朝倉氏滅亡後、東郷城主長谷川秀一公の命により東郷の地に移転しました。現在では、2016年(平成28年)にを開始した「テク…
照恩寺
  • 一乗谷・永平寺エリア
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春日神社(安波賀)
一乗谷に唯一現存する朝倉氏時代から続く寺社
一乗谷に唯一現存する朝倉氏時代から続く寺社です。朝倉氏から崇敬されましたが、存亡を共にし、江戸時代に再興されました。参道を道なりに登っていくと、「滝殿社」と呼ばれる朝倉義景を祀った社があり、朝倉義景が自害のときに言った呪いの言葉が書かれた巻物が御神…
春日神社(安波賀)
  • 一乗谷・永平寺エリア
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富田勢源道場跡
盲目の剣豪 富田勢源の道場跡地
戦国時代の一乗谷朝倉氏に仕えた剣豪「富田勢源」の道場跡地です。富田勢源は中条流(富田流)の達人であり、ほぼ盲目でありながらも、美濃の斎藤義龍(斎藤道三の息子)の依頼で神道流の達人である梅津某と試合を行い、大きな木刀の梅津に対し、近くにあった一尺2~3寸(…
富田勢源道場跡
  • 一乗谷・永平寺エリア
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瓜割清水
戦国時代から使われていたと伝わる湧き水
福井市の歴史スポット、「一乗谷朝倉氏遺跡」のなか、住宅地の間にひっそりとたたずむ湧き水です。当時の儀式や当主の生活用に使われたと考えられており、400年経った現在も澄んだ冷水が沸き出し人々の生活の水として使用されています。
瓜割清水
  • 一乗谷・永平寺エリア
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八幡神社(福井市大宮町/旧美山町大宮)
源義経が奥州落ちの際に世話になったお礼に残したと伝わる「兜の前立の鏡」が残る
大宮八幡神社は明治42年に八幡神社に厳島神社(弁天)と熊野神社(西谷)と白山神社(観音堂)を合祀し、羽生・味見・芦見地区の総社として現在に至ります。源義経が兄頼朝に追われ奥州落ちをした際、義経記によれば義経一行18名は山伏姿に変装し、北陸道を超え、平泉寺に向…
八幡神社(福井市大宮町/旧美山町大宮)
  • 福井駅周辺エリア
  • 一乗谷・永平寺エリア
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南陽寺跡庭園
特別名勝一乗谷朝倉氏庭園南陽寺跡庭園
南陽寺は朝倉氏一族により創建されたと伝えられる尼寺です。仏殿とされる建物と庭園が確認され、庭園は特別名勝に指定されています。約5,000㎡の規模であり、当時は「北国でも類稀」といわれたほどでした。永禄11年(1568年)春、朝倉5代目朝倉義景は、当時一乗谷に来て…
南陽寺跡庭園
  • 一乗谷・永平寺エリア
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金吾谷
朝倉宗滴の館があったと伝わる
安波賀(あばか)には「金吾谷」という地名が残っています。金吾とは、朝倉宗滴の官途名を唐風に呼びならわしたもので、安波賀に宗滴の屋敷があったといえます。安波賀は、下城戸を出てすぐ外の地区で、三国湊へつながる足羽川、北庄と美濃を結ぶ美濃街道が通り、都市一…
金吾谷
  • 一乗谷・永平寺エリア
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永平寺町魅力発信交流施設えい坊館
「禅と食と酒」を基本コンセプトとした、永平寺町の魅力発信交流施設。『チームラボ』制作のデジタルアート作品「禅文化体感ゾーン」では、光の群鳥が空間を自由無礙に飛び回り、不思議な感覚に。物販コーナーには、特産品の他、町内3酒蔵の日本酒が揃います。【ラン…
永平寺町魅力発信交流施設えい坊館
  • 一乗谷・永平寺エリア
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越美北線 金吾谷踏切
朝倉宗滴が住んだと伝わる「金吾谷」近くの踏切
福井市安波賀町には朝倉宗滴の館があったと思われる「金吾谷」と呼ばれる場所があります。すぐ近くの踏切はこの地名から「金吾谷踏切」という名前が付けられています。金吾谷には説明版等が無いため、「金吾谷」の表記がある貴重なスポットとなっています。(※この踏切…
越美北線 金吾谷踏切
  • 一乗谷・永平寺エリア
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朝倉景鏡館跡
朝倉景鏡の館があったと伝わる場所
 当地は「一乗谷古絵図」によれば、朝倉式部大輔景鏡(あさくらしきぶのたゆうかげあきら)の館があったところと推定されています。景鏡は朝倉氏最後の城主義景の従兄弟にあたり、朝倉一族の中でも特に地位が高く、大野郡司も務めていました。屋敷の南北には外堀と土塁…
朝倉景鏡館跡
  • 一乗谷・永平寺エリア
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一般社団法人朝倉氏遺跡保存協会 - おもてなし特集
朝倉氏遺跡保存協会岸田 清さん主な活動は? 復原された戦国時代の町並みや館跡・庭園跡などをきれいに保つための維持管理に努め、訪れた観光客の皆様に対して遺跡の価値や魅力を伝えるための定時ガイドを行っています。 また、糸桜まつり(4月)、越前朝倉曲水〔…
一般社団法人朝倉氏遺跡保存協会 - おもてなし特集
  • 一乗谷・永平寺エリア
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足羽川の鮎釣り/足羽川漁業協同組合
清流の楽しむ鮎の友釣り
福井市の中心部を流れる足羽川(あすわがわ)は、本流にダムが無く、流域に工場もほとんど無い清流です。その上流には、毎年6月中旬からのシーズンに鮎友釣りに延べ8,000人が訪れます。特に、県外から訪れる釣り客が6割と多いことも特徴です。人気の秘訣は、鮎…
足羽川の鮎釣り/足羽川漁業協同組合
  • 一乗谷・永平寺エリア
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永平寺参ろーど
京福旧永平寺線跡地約6キロメートルを遊歩道として整備し、「永平寺参ろーど」と名付けられました。一部に砂利敷きやありし日の永平寺線を思わせる遺構が残っており、情緒を感じながらウォーキングを楽しめます。また、先端技術を駆使した自動走行車両サービス「ZEN …
永平寺参ろーど
  • 一乗谷・永平寺エリア
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「芭蕉塚」天龍寺 境内
「物書きて 扇引きさく 余波哉」
「物書きて 扇引きさく 余波哉」これは松尾芭蕉が「奥の細道」の途中、天龍寺に立ち寄った時に作った贈答句です。芭蕉塚は1844年に同好の人たちによって建てられました。
「芭蕉塚」天龍寺 境内
  • 一乗谷・永平寺エリア
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天満神社
平維盛の守護仏を祀る
平清盛の孫・平維盛は平家方の大将として戦い、今庄の燧ヶ城を舞台とした火打合戦で大勝しますが、倶利伽羅峠の戦いにて木曾義仲に敗れます。平家物語では入水し命を絶つ姿が描かれていますが、生き延びたという伝説も各地に残ります。福井市の美山地区である赤谷町に…
天満神社
  • 一乗谷・永平寺エリア
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