藤野厳九郎碑(福井市足羽山)

足羽山に建つ、魯迅の師「藤野先生」の記念碑

藤野厳九郎(1874-1945)は魯迅の小説「藤野先生」で知られる、福井県あわら市出身の医師。

中国近代文学の父と言われる魯迅は、日本留学時代に仙台医学専門学校(現東北大学医学部)において厳九郎より親切な指導を受け、後に小説にて厳九郎の思い出を記しました。


1962年、有志にて「藤野先生記念会」が設立され、1964年(昭和39年)4月12日「惜別の碑」が福井市足羽山に建立されました。この記念会は作家の貴司山治氏や福井テレビ第2代社長である青園謙三郎氏の働きかけ等により、発起人には、作家の中野重治、三好達治、水上勉、俳優の宇野重吉、中国文学者の増田渉、竹内好等が名前を連ねています。碑の設計およびレリーフの制作は雨田光平氏、正面には厳九郎の肖像と「惜別」の文字、背面には以下のように刻まれています。



明治三十七年周樹人


教授藤野厳九郎懇切に指導すること二年、周氏志をかえて仙台を去る。

先生深く周氏を惜しみ「惜別」の二字を署して小照を贈る。周氏は、後の中国文豪魯迅先生なり。

魯迅その小照を終生壁間に掲げて己れを督励し、小品「藤野先生」を草して旧師を偲んで曰く「先生は世に無名の人、己れには極めて偉大の人」と。

大正五年、藤野先生故郷福井県に隠れ、医を営んで農夫の友となり、昭和二十年八月十一日七十二年の生涯を了る。

有志相謀り、上海魯迅記念館所蔵の藤野先生小照背面の文字を採り、仙台医学専門学校教授時代の先生小照と共に刻して、茲に惜別の碑を建て、両先生不滅の結縁を記念す。

因に台面藤野厳九郎碑の文字は、魯迅夫人許広平女史に嘱してこれを誌す。


一九六四年 四月

藤野先生記念会



参考文献:「郷土の藤野厳九郎先生」藤野厳九郎先生顕彰会著(昭和56年)

  • 正面
  • 背面
  • 背面
  • 石碑背面の碑文
  • 藤野源九郎の肖像
  • 藤野源九郎が魯迅に贈った「惜別」の文字
  • 魯迅の二番目の妻 許広平による揮毫「藤野源九郎碑」
  • 案内板
  • 記念碑前の道路
  • 記念碑すぐそばの駐車場

動画

基本情報

住所
福井県福井市足羽上町150
駐車場
あり
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