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板取宿
板取の宿,いたどりじゅく
天正6年、柴田勝家が道を改修してから栄えました。北国街道の入口として初代福井藩主結城秀康以来、関所を設け旅人を取り締まった重要な場所でした。現存する民家の藁葺の屋根は甲(かぶと)造りで珍しいものです。
板取宿
  • 鯖江・越前たけふエリア
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あさむつ橋
旧北国街道の景勝地「あさむつ橋」
福井市の浅水(あそうず)地区にあるあさむつ橋は、平安時代、清少納言が書いた「枕草子」にも語られた橋で、おくのほそ道で知られる松尾芭蕉も、「あさむつを 月見の旅の 明離」と、あさむつ橋とともに月の句を詠んでいます。今は小さな橋ですが、昔は長さ13間(約…
あさむつ橋
  • 福井駅周辺エリア
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寺町通り (越前市)
総社の少し北側で、旧北陸道から西に延びる通りで国分寺前の道を西に進めば、西詰に引接寺があります。正徳元年(1711)の「正徳元年府中図」には、通りの北側東方に国分寺、南側に常眼時(現本多3丁目)・報恩寺・妙国寺・栄久寺の諸寺院が描かれており、嘉永4年(1851)の…
寺町通り (越前市)
  • 鯖江・越前たけふエリア
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detail_10178.html
まつや地蔵
大蛇に嫁入りした娘のことを悲しんだ父親がそれを悲しんで建てたと言われる地蔵。旧北陸街道沿いに、同様の地蔵が何か所か現存している。松屋のびんづけ 『福井県の伝説』より丸岡町(坂井市丸岡町)に松屋という商人がいました。ある日、松屋の娘のお絹は父とともに…
  • 東尋坊・あわら温泉エリア
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千束一里塚
旧北陸道に残る一里塚
江戸幕府は慶長6年(1601)から東海、東山、北陸等の諸街道の整備を行いました。また同9年(1604)には江戸日本橋を起点とし、一里(約3.9km)毎に一里塚を造らせました。そこには道の両側に五間(約9.1m)四方の塚が築かれ、塚が崩れないように榎や松等が植えられまし…
千束一里塚
  • 東尋坊・あわら温泉エリア
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下荒井町 三軒茶屋の碑
かつて三軒茶屋があり賑わった北国街道巡りの目印
下荒井町の八幡神社の前には、かつての北国街道(北陸道)が通っており、かつてここには三軒の茶屋があり旅人等で賑っていたことを記した碑が建っています。各茶屋は向かって右から「上茶屋(カミチャ)」、「大茶屋(オジャヤ)」、「中茶屋(ナカンチャ)」と呼ばれ…
下荒井町 三軒茶屋の碑
  • 福井駅周辺エリア
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寺町通り (大野市)
越前大野城の城下町にある趣きある通り
北陸の小京都と呼ばれている城下町、大野市にある寺町は、天正年間金森長近の城下町づくりの一画として造られたもので、真宗を中心に各宗派の寺院が並び、古い町並みを今に残しています。
寺町通り (大野市)
  • 恐竜博物館・大野城下町エリア
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常照寺
九十九橋の橋脚に使われていた笏谷石が標柱として残る
福井市南部にある常照寺は、越前市五分市町にある豪摂寺を本山とする浄土真宗出雲路派の寺です。寺号が刻まれていたと思われる笏谷石の門柱は、足羽川に架かっていた半木半石の奇矯「九十九橋」の橋脚の石材が流用されたものです。
常照寺
  • 福井駅周辺エリア
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detail_13175.html
旧北陸線トンネル群
明治29年(1896)、旧北陸線の敦賀―福井間が開業しました。なかでも険しい山々と急勾配が続く敦賀―今庄間には12基のトンネルが掘られ、そのうち11基が現在も残されています。トンネル群のほかにも築堤や橋梁、暗渠などの当時の鉄道遺産が数多くあり、明治の土木技術の粋…
旧北陸線トンネル群
  • 鯖江・越前たけふエリア
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ミニ資料館 マチノクラ
三國湊の海運と文学がテーマのミニ資料館。館内では、三國湊の歴史的、文化的資料の展示や、三國湊のガイダンスムービーをご覧いただけます。
ミニ資料館 マチノクラ
  • 東尋坊・あわら温泉エリア
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あわら市観光ガイド協会
あわら市内には芦原温泉の他に細呂木エリア、吉崎エリア等見どころが沢山あります。吉崎、細呂木、金津に各10名前後のガイド員、あわら温泉街は金津チームが対応いたします。【体験ツアー】細呂木 石切場跡、神宮寺城跡は お1人様 3,000円(6/1~8/31 4,000円)金…
あわら市観光ガイド協会
  • 東尋坊・あわら温泉エリア
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下関一里塚
かつて旅人にとって旅程の目安となり休憩場所となった
江戸幕府は慶長6年(1601)から東海、東山、北陸等の諸街道の整備を行いました。また同9年(1604)には江戸日本橋を起点とし、一里(約3.9km)毎に一里塚を造らせました。そこには道の両側に五間(約9.1m)四方の塚が築かれ、塚が崩れないように榎や松等が植えられまし…
下関一里塚
  • 東尋坊・あわら温泉エリア
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湯尾峠
古くから交通の要所で、源平合戦、南北朝時代の合戦、一向一揆の戦いなど度々戦場となった
湯尾峠一帯は、古くからの交通の要所で、源平合戦、南北朝時代の合戦、一向一揆の戦いなど度々戦場となった場所でもあります。天正6年(1578)、柴田勝家が北国街道を整備した際に改修が加えられ、現在の峠道になったといわれていますが、木曾義仲が京へ攻め上げる際…
湯尾峠
  • 鯖江・越前たけふエリア
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石丸城公園(石丸城跡)
南北朝時代の武将、新田義貞と弟の脇屋義助ゆかりの地
石丸城公園は、「太平記」にも登場する、新田義貞と弟の脇屋義助が居城して戦った石丸城の跡地に整備された公園です。城跡は市の区画整理事業の際の発掘調査で発見され、建物や堀の跡が確認されています。公園内には、旧北国街道沿いにあった「人橋地蔵」が移設されて…
石丸城公園(石丸城跡)
  • 福井駅周辺エリア
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麻生津宿 本陣跡
本陣跡の碑が残る、旧北陸道の要所だった場所
本陣とは、江戸時代の宿駅(街道の要所で、宿泊や人馬の乗り換えの設備があったところ)で、大名・幕府役人・公家・貴族の旅館のことです。浅水の本陣は、あさむつ橋の北詰、旧北陸道の曲がり角にありました。現在の麻生津郵便局の西側の曲がり角に、本陣跡の碑がひっ…
麻生津宿 本陣跡
  • 福井駅周辺エリア
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地蔵橋
かつては旧北陸道沿の川にあり、往来を行く人々を援ける橋として使用されていました。伝承では、ある僧の夢に織田信長の越前侵攻で破却された地蔵が現れ、人々の功徳を願って橋として架けるよう告げたといわれます。
地蔵橋
  • 鯖江・越前たけふエリア
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detail_11253.html
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