福井市の歴史をたどる。徒歩で巡る「幕末の名君松平春嶽ゆかりの地」
幕末維新、2021年NHK大河ドラマ『晴天を衝け!』の主人公、渋沢栄一が生きた激動の時代は、福井藩が重要な役割を担っていました。そのキーマンが松平春嶽や橋本左内、三岡八郎(由利公正)です。彼らの活躍や功績を垣間見られるスポットを巡ります。
福井駅
福井鉄道福井駅
左内公園
10:20
幕末の志士、橋本左内の墓所と啓発禄の碑がある

橋本左内の墓と像がある。橋本左内は、幕末の福井藩士。藩主松平春嶽の右腕として、将軍継嗣問題、外交問題について開国派として奔走。しかし、安政の大獄により捕らえられ、26才の若さで斬首された。
もっと見る百坂
橘曙覧記念文学館
10:35
橘曙覧記念文学館の中にある橘曙覧と健子の親子像を眺められる。その先、笏谷石の石畳「愛宕坂」を下りましょう。

橘曙覧は、明治時代に正岡子規が絶賛したことで、広く世に認められた幕末の歌人です。 橘曙覧記念文学館は、曙覧の旧家「黄金舎(こがねや)」跡に建てられています。 曙覧は21歳でこの愛宕(あたご)山(現、足羽山)の黄金舎に隠棲し、清貧の暮らしのなかから、生活・社会・自然を奔放に詠みつづけていました。 文学館では、橘曙覧が住んでいた「藁屋」の一部を推定復原したコーナー、曙覧の書、作品、生涯・幕末の関連人物を紹介するコーナーなど、曙覧のさまざまな世界を知ることができます。
もっと見る由利公正宅跡
10:45
五箇条の御誓文の草庵を作った由利公正ゆかりの地。公正宅の跡、坂本龍馬の歌碑、由利公正の銅像などがある。

横井小楠に師事し、福井藩財政を再建した福井藩士由利公正は、明治新政府で金融財政を担当し、「五箇条の御誓文」起草にも参画。 現在の足羽川河川敷のところにあったとされている由利公正(当時は三岡八郎)の居宅跡には石碑が建てられている。 宅跡のあたりは、「毛矢侍」と呼ばれる下級武士が住んでいた地域で、由利公正は、この地から福井藩の重要な家臣として出世していく。
もっと見る坂本龍馬の歌碑
11:00
由利公正と親交があった坂本龍馬の歌碑が残る。

公正宅で会談中、龍馬が詠んだ歌が彫られている。石は龍馬の故郷(高知県)から取り寄せたもの。 『君がため捨つる命は惜しまねど心にかかる国の行く末』
もっと見る横井小楠寄留地跡
11:10
福井藩政を指導した横井小楠が寄留した地

横井小楠は福井藩主松平春嶽の招きを受けて、4度福井に訪れている。 文久3年(1863年)に来福した際にはこの地に寄留し、藩政を指導していた。 足羽川の対岸には由利公正の自宅跡もある。
もっと見る福井城址
福井城址 山里口御門
11:35
山里口御門を抜けて、御廊下橋を渡りましょう。その先の中央公園は、藩主の住居(御座所)があった場所で、この橋はいわば藩主の通勤路。

山里口御門は、「廊下橋御門(ろうかばしごもん)」や「天守台下門(てんしゅだいしたもん)」とも呼ばれていた福井城本丸の西側を守る枡形門(ますがたもん)です。 江戸初期から本丸の西につながる西二の丸には松林があり、山里丸と呼ばれていました。山里口御門は、この山里丸から本丸への入口の門として、築城当時に造られました。寛文9年(1669)の大火で天守などとともに焼失しますが、その後再建されました。 2階部分に櫓(長屋状の建物)が載る櫓門(やぐらもん)、2本の柱とその上部を連結する冠木(かぶき)で屋根を支える構造の棟門(むなもん)、そしてこれら2つの門とともに枡形を形成する石垣上の土塀を復元しました。
もっと見る福井市立郷土歴史博物館
11:45
幕末の名君、松平春嶽の像がある。福井藩、越前松平家に関する資料も充実。

福井藩主であった松平家の資料を中心に、城下町の暮らしぶりや戦災、震災などの資料を常設展示しています。 また実寸台大の復元模型やCGを使った展示、さらに「へんしん越前屋」では江戸時代の衣服や道具を体験することも出来ます。
もっと見る名勝 養浩館庭園(旧御泉水屋敷)
12:10
越前松平家の別邸。ジャパニーズジャーナルオブザガーデンで上位常連の名庭園。
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福井藩主・松平家の別邸。国指定名勝。 米国の専門誌「ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング」による日本庭園ランキングでも上位に選ばれる名勝。
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