四王天但馬守事蹟碑

九頭竜川の要衝である舟橋役を担った四王天政実の石碑

柴田勝家は刀さらえで集めた鉄で鎖を作り、その鎖で48艘の舟を繋いだ「舟橋」を九頭竜川に架けました。舟橋は明治の初めころまで架かっていました。

本能寺の変にて信長の小姓である森蘭丸を討ち取ったとも伝わる(※)、明智光秀の家臣「四王天政実(しおうてんまさみ又はしほうでんまさざね)」は、明智氏滅亡後に各地を転々とした後、紀伊国湯浅(和歌山県湯浅町)で身を隠していましたが、旧友の領主青木重吉に召し抱えられました。その後、重吉の越前移封に伴って北庄に移り、舟橋の管理を任されています。以後、領主が代わっても、四王天家歴代当主は九頭竜川の「舟橋役」として北陸道の要衝を管理しました。福井市舟橋町にある河川敷のテニスコート付近には、四王天家の屋敷(奉行所)があったと推定されています。

※軍記物語『明智軍記』、読本『絵本太閤記』に記述あり。

※森家子孫編纂の『森家先代実録』では、政実が討ち取ったのは蘭丸ではなく、弟の力丸とされています。


参照

福井県文書館 松平文庫テーマ展 越前と明智光秀 -"伝承"をたどる- / 展示パネル「光秀と四王天家」

福井市立郷土歴史博物館 「明智光秀と越前」展示図録


最寄りの郵便局「中藤島郵便局」の風景印には、「四天王但馬守事跡碑」が描かれています。


黒竜川舟橋図 (越前国名蹟考/福井県史から引用

基本情報

住所
福井県福井市舟橋町
アクセス
バス停「舟橋」から徒歩3分
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